土壇場で融資が決定
銀行はどこを見ていたのか
もうひとつの危機は、半導体不況による業績の悪化が原因だった。メインバンクの大手銀行が融資を引き上げると言い出したのである。いわゆる貸しはがしだ。とにかくお金を返せという。しかし、返せるお金はない。このときが最も苦しかった。
夜、寝られないから酒を飲む。朝は寝不足で目が醒めないのでコーヒーをガブ飲みする。昼間は食事が喉を通らないのでラーメンばかり食べる。これが、潰瘍の原因になった。
お金を返せ、の一点張りの銀行。困っていろいろ動いたが、一般社会の経済状況、金融事情も悪い時期に重なっていた。他の大手銀行はどこも助けてはくれなかった。そんなとき、人の紹介で会った地方銀行の横浜支店長代理が興味を持ってくれた。新潟の第四銀行(現第四北越銀行)だ。
個人的には縁もゆかりもない銀行だったが、何度も会社に来ては帳簿もすべてチェックし、取引先にまで足を運んで会社についてしっかり確認してくれた。
そして、担保なしで5000万円の融資枠を用意してくれたのである。そのうち3000万円は、OKのサインが出てから一週間も経たずに振り込まれ、会社は一息つくことができた。残り2000万円は結局、枠を残したまま借りずに済んだ。今の貨幣価値で言えば、2倍は優に超える。
まだ半導体市場が小さかった時代のことである。融資を決めてもらえた要因は何だったのかと振り返ると、経営者としての情熱、志の大きさ、勢いだったと思う。また同時に、データと論理性、正確性、透明性、さらには将来性も評価されたのだろう。この一件以後、主要な取引銀行になってもらった。多少なりとも、恩に報いることができたと思う。
会社は、設立から1年で3割が消え、3年で5割が消え、10年経つと1割しか残っていないと聞いたことがある。すべてが潰れるわけではなく、吸収される会社もある。ただ、そのまま残っているのは1割でしかない。
自分で創業した人は全員とは言わないが、資金面で苦労して、胃潰瘍の1回や2回は患っているのではないかと思う。中には手術して「切腹」までしている人もいる。ゴルフを一緒にやって風呂に入ったときにそういう人を何人も見てきた。これも会社経営なのだろう。