神山治貴

株式会社マクニカ 名誉会長/一般財団法人神山財団 代表理事

かみやま・はるき/1946年東京生まれ。1969年東京電機大学卒業、名誉博士。コンピューターメーカー、複数の商社勤務を経て、1972年、半導体およびネットワーク機器関連の技術商社として「ジャパンマクニクス株式会社(現株式会社マクニカ)」を創業。サービス・ソリューションプロバイダーとして事業ポートフォリオを拡充している。2013年に一般財団法人神山財団設立、代表理事就任。

その他、一般社団法人日本半導体商社協会副会長、一般社団法人神奈川ニュービジネス協議会会長、東京電機大学理事、公益社団法人経済同友会幹事、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会副会長を歴任。

第6回
半導体ナンバーワン商社・マクニカ創業者が語る「配偶者は最高の応援者」
神山治貴
長年経営者をやっていれば、大変な危機に見舞われることが幾度もある。そんなとき、どのように乗り越えたら良いのだろうか?
半導体ナンバーワン商社・マクニカ創業者が語る「配偶者は最高の応援者」
第5回
個人商店から売上高7600億円へ、マクニカの成長を加速させた「M&A」成功の法則とは
神山治貴
1972年、26歳の時にパン屋の2階のオフィスでジャパンマクニクス(現マクニカ)を創業した神山治貴・マクニカ名誉会長。その後50年間で連結売上高7610億円、従業員数3900人の東証プライム上場企業に成長させた。マクニカが国内の半導体商社でナンバーワンになった背景には、積極的なM&Aがあった。しかし、うまく行った案件ばかりではなかった。成功事例、失敗事例から神山氏が学んだ「M&Aに成功するための条件」とはーー。神山氏の著書『経営の本質 すべては人に始まり人に終わる』から抜粋してお届けする。
個人商店から売上高7600億円へ、マクニカの成長を加速させた「M&A」成功の法則とは
第4回
50年で赤字は一度もなし!半導体ナンバーワン商社・マクニカ「ひまわり経営」の威力
神山治貴
今では国内の半導体商社でナンバーワンとなっているマクニカだが、浮き沈みの激しい半導体業界で生き残り、かつ成長し続けるためには、常にアンテナを張り巡らせて、伸びる分野でビジネスをするという柔軟な戦略が欠かせなかった。
50年で赤字は一度もなし!半導体ナンバーワン商社・マクニカ「ひまわり経営」の威力
第3回
マクニカ、零細から売上高7600億円企業に成長できたのは「誰もが納得する昇進」を貫いたから
神山治貴
1972年、26歳の時にパン屋の2階のオフィスでジャパンマクニクス(現マクニカ)を創業した神山治貴・マクニカ名誉会長。その後、マクニカは50年間で連結売上高7610億円、従業員数3900人の東証プライム上場企業に成長した。神山氏は「誰を昇進させるか、この判断を誤ることは非常に危険である」と語る。安易な年功序列が組織を破壊すると考えた神山氏が貫いた「誰もが納得する昇進」とは――。神山氏の著書『経営の本質 すべては人に始まり人に終わる』から抜粋してお届けする。
マクニカ、零細から売上高7600億円企業に成長できたのは「誰もが納得する昇進」を貫いたから
第2回
中小企業が苦労する人材採用、「来てくれない」をどう打開するか
神山治貴
1972年、26歳の時にパン屋の2階のオフィスでジャパンマクニクス(現マクニカ)を創業した神山治貴・マクニカ名誉会長。創業期の会社の例にもれず、マクニカでも当初は人材採用で非常に苦労をしたという。社屋の豪華さや会社のブランドで採用できないハンデを、神山氏はどう乗り越えたのだろうか?
中小企業が苦労する人材採用、「来てくれない」をどう打開するか
第1回
売上高7600億円企業の創業者が語る「危機を乗り越え成長する会社」の特徴とは
神山治貴
1972年、26歳の時にパン屋の2階のオフィスでジャパンマクニクス(現マクニカ)を創業した神山治貴・マクニカ名誉会長。創業期はどんな会社でも危機的状況に陥りやすい。この時期を乗り越えられずに消えていく会社もたくさんあるが、神山氏は「ピンチを生き残れる会社には特徴がある」と指摘する。
売上高7600億円企業の創業者が語る「危機を乗り越え成長する会社」の特徴とは
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