なぜ、会社はもうからないのか?、なぜ、現金が手元に残らないのか?――。その答えが「安全をおろそかにしているから」なのだとしたら、簡単に腑に落ちる人は多くないかもしれません。取引先ゼロ+キャッシュフローほぼゼロ+金融機関からの融資拒否という経営状態だった鍛造工場を引き継ぎ、わずか数年でもうかる体質に変貌させ、上場企業に100億円で売却した平美都江氏。その半生をつづって大きな反響を得た前著『なぜ、おばちゃん社長は価値ゼロの会社を100億円で売却できたのか』に続き、爆発的な利益をたたき出せる経営ノウハウを、マンガを交えて解説していく第2弾『なぜ、おばちゃん社長は「絶対安全」で利益爆発の儲かる工場にできたのか?』を上梓しました。一見結びつきにくいと思われがちな「安全対策」と「利益」。本連載では、平氏の考えと取り組みのエッセンスを抜粋・再構成のうえ紹介します。
価値ゼロの会社が100億円に!
私が、父の創業した鍛造工場の経営を引き継いだとき、さまざまな事情が重なって、顧客はいなくなり、キャッシュフローは滞り、金融機関にもそっぽを向かれている状態でした。
売却しようにも、会社としての価値は事実上ゼロ。手持ちのわずかな資産と、培ってきた技術だけが頼りでした。
そんな崖っぷちの経営状況で、私が常に最優先で取り組んでいたのが、「従業員の安全」です。
どうすればもっと従業員の危険を減らせるか。どうすればもっと体力的にキツくならないか。そして、どうすればより快適に働けるか――。
経営危機なのに、「安全」にこだわっている場合か、と思われるかもしれません。
当時は私自身も、安全対策が利益に直結するなど、まったくわかりませんでした。しかし今振り返れば、会社がもうかる体質に変わった端緒は、「絶対的な安全」へのこだわりだったのです。
スタートは「弟の事故死」だった
私が安全を最優先にした理由。それは、弟の、突然の事故死でした。
秋の夕暮れ時、見通しが悪く整理整頓もされていなかった工場内でフォークリフトにひかれ、そのまま帰らぬ人となりました。
遺された家族だけではありません。フォークリフトを運転していた従業員やその家族、そしていっしょに働いてきた仲間まで、みんながつらく、苦しい思いをしました。
もう二度と、誰にもそのような目には遭って欲しくない。
命はもちろん、体の一部でもケガをするようなことがあってはならない。
従業員の命を守れないくらいなら、会社をやっていても意味がない。
肉親を失った経営者として、文字通り朝起きてから眠りにつくまで、安全第一への責任感が頭を離れることはありませんでした。