ちょうど冬の寒さが厳しければ厳しいほど、桜が美しい花を咲かせるのと同じように、悩みや苦しみを体験しなければ、人は大きく伸びないし、本当の幸福をつかむことができないのでしょう。

 私の場合も、人生において経験してきた、数え切れないくらいたくさんの苦労や挫折は、ちょうどオセロの石が一気に黒から白に返るかのように、後にすべて成功の土台となってくれました。今、振り返ると、過去に苦しいと思えたことが、後になっていい結果を招いていることに気づかされるのです。

 そう考えれば、人生における苦難や挫折、それこそが私の人生の起点であり、最大の「幸運」であったのかもしれません。

 たとえば、私が赤字続きの松風工業に入社し、同期の中でただ一人取り残されたとき、「稲盛君はかわいそうだ。大学の成績もよかったし、よく勉強もしていたのに、あんなボロ会社でくすぶっている。運のない男だ。この先、彼の人生はどうなっていくのだろう」――友人たちは、そんな同情とも揶揄ともつかない言葉で、私のことを評していました。

 私自身、同僚たちが自分の才覚で進路を開いていったのに比べて、自分だけが行くあてもなく、たった一人でさえない会社にくすぶり続ける他はない――この絶望感に心を押し潰されていました。

 しかし、今にして思えば、この不運、試練こそが、私に仕事に打ち込むことを教え、そのことを通じ、人生を好転させてくれたという意味では、神様が与えてくれた最高の贈り物だったのです。逆境にあっても、愚直に懸命に働き続けたことが、今の私のすべてをつくる基礎となってくれたのです。

 もし、苦難や挫折を知らず、有名校に入学し、大企業に就職していたら、私の人生はまったく異なったものになっていたでしょう。

 順境なら「よし」。逆境なら「なおよし」――。自分の環境、境遇を前向きにとらえ、いかなるときでも、努力を重ね、懸命に働き続けることが大切なのです。

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