中国やロシア、イランといった修正主義的な大国の台頭によって、自己満足から目が覚めた西側の同盟諸国は今、重要な真実を思い起こしつつある。平時には戦争に備えなければならないということだ。しかし逆もまた真なりで、戦時には平和に備えなければならない。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナで始めた戦争は、1945年以降の欧州ですでに最悪の紛争となっており、なお激しさを増している。冬の到来とともに、ロシアはウクライナの電力インフラを破壊することで降伏を強要する野蛮な作戦をエスカレートさせている。これに対し、ウクライナはロシア本土内を標的として反撃している。ウクライナへの支援を続けるにしても、米国民は自分たちがどんな平和を望んでいるのかについて考え始めなければならない。これは地理的な問題ではない。本格的な和平交渉が始まったときに軍がどこにいるか分からないし、現地の軍事的事実によって領土を巡る交渉は活発化するだろう。だが境界線はともかく、調停は一筋縄ではいかない。共産主義政権崩壊後の社会再建に奮闘していたポーランドの友人たちが筆者によく言っていたように、スープの魚を水槽に戻すより、水槽の魚をスープにする方が簡単なのだ。