渡辺努・東京大学大学院経済学研究科教授Photo by Manami Yamada

日本銀行の新総裁に植田和男氏が起用される。物価研究の第一人者である東京大学の渡辺努教授は、植田氏とは日銀時代から親交がある。渡辺教授に植田氏の印象や日銀新体制に求める金融政策、異次元緩和の総括を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部 永吉泰貴)

黒田総裁の異次元緩和は「結果的に失敗」
金利ゼロ克服できず、物価・賃金は停滞

──日本銀行・黒田東彦総裁の異次元緩和の10年をどう評価していますか。

 日本で物価と賃金が上がらなくなったのは、1990年代後半からです。異次元緩和が始まったのは2013年。約15年たってようやく、物価と賃金が動かない状態を何とか直そうと、当時の安倍晋三首相を中心に異次元緩和が始まりました。この目的は非常に適切でした。

 ただし、物価と賃金を見る限り、10年たっても当初の目的を果たせていないので、結果的には失敗だったと思います。

──異次元緩和の期間で、雇用環境は改善し、株価は上がりました。このような結果を根拠に、異次元緩和は失敗ではないという指摘もあります。

 おそらく異次元緩和を実施しなかった場合に比べて、株価は上がったでしょうし、雇用もそれなりに増えたと思います。しかし、物価と賃金を安定的に上げるという最大の目的が達成できなかったという意味で、失敗だったのではないかと。

──当初は2年で2%の物価上昇を掲げましたが、なかなか到達しなかったのはなぜでしょうか。

 99年頃から、 短期金利はゼロ付近に張り付き、中央銀行が物価や賃金を上げるときに使えるルートが非常に限定されていました。その壁を打破しようと、マネタリーベースの量、長期金利と試行錯誤しました。

 しかし、結局短期金利がゼロという事実は最後の最後まで効いていて、克服できませんでした。そこが最も大きな原因だと思います。

──異次元緩和の開始当初から、この政策では物価を上げるのは難しいと考えていましたか。

 私は、むしろ物価は上がり過ぎると思っていました。

 事実、開始当初は国債の金利が上昇しました。今後インフレが進むことを折り込んで名目金利が上がったので、慌てて日銀が抑えにかかったほどです。

 その頃は、物価が上がる認識を持った人も多かったと思います。初期の目的意識とパフォーマンスは、インパクトがありました。その点では非常に成功していたのではないでしょうか。

──その後、2%の物価上昇が難しいと感じたタイミングは、いつ頃からですか。

異次元緩和当初は「物価が上がり過ぎる」懸念があったと話す渡辺教授。次ページでは、物価上昇に歯止めをかけた存在と、日銀時代から親交がある植田和男新総裁の印象や、求める政策を聞いた。