日本サッカー協会(JFA)が異例の人事を発令した。会長、副会長に次ぐナンバー3の要職で、日常の業務を統括する専務理事に2月1日付で、日本代表のキャプテンとしてW杯でも活躍し、ファン・サポーターから「ツネ様」の愛称で親しまれた46歳の宮本恒靖氏を抜擢した。古巣ガンバ大阪の監督などを経て、JFA理事および会長補佐に就任したのは昨年3月。まだ1期目の途中ながら、宮本氏本人も驚いた大出世にはどのような意図が込められているのか。(ノンフィクションライター 藤江直人)
W杯日本代表キャプテンを務めた「ツネ様」
JFAナンバー3の要職に
子どもの頃からサッカーが得意で、ガンバ大阪でプロになって2005年のJ1リーグを制覇。日本代表にも選出され、キャプテンを託され、2大会、計6試合にわたってW杯の舞台でもプレーし、02年の日韓共催大会では日本のW杯初勝利と初の決勝トーナメント進出の原動力になった。
現役の晩年に差しかかった07年にはヨーロッパへ移籍。オーストリア1部のレッドブル・ザルツブルクでもリーグ優勝を経験している宮本恒靖氏は、引退後に歩んでいくセカンドキャリアの選択肢のなかに、他のJリーガーや代表経験者とは明らかに一線を画す分野を加えた。
国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院、FIFAマスターへの挑戦。第13期生として12年9月に入学し、サッカーを含めたスポーツ全般に関する組織論や歴史、哲学、法律、そして経営学を学び、翌13年7月に修了したときの心境を宮本氏はこう振り返っている。
「経営サイドに行く自分のことも想像していたので。スティーブ・ジョブズの言葉に『点と点をつなぐ』があるじゃないですか。自分にとっての点の一つがFIFAマスターだったんですね。自分のなかでは、いつかどこかで(経営サイドに)、といったイメージはありました」
大阪屈指の進学校である生野高から同志社大経済学部へ進学。サッカー選手との文武両道を実践してきた宮本氏の胸中には、人生における可能性をできる限り広げたい、という思いがあった。スポーツ界で活躍する人材輩出を目的とするFIFAマスターの門をたたいたのもその一環だった。
それでも修了から10年がたつ23年の自分自身の立ち位置は、想像できなかったはずだ。