他方で、僕は放送局の人間ではなく制作会社の人間だ。なので雇われ店長のような意識がないわけじゃない。まして既存の番組にプロデューサーから入ることは、その意識を余計に増幅させる。当初、その意識が強かったのか、なかなか全ての番組に心身ともにコミットできない自分がいた。ラジオは番組ごとにチームの結束が固いので、そこに分け入るには精神的カロリーがまあまあかかる。元来面倒くさがりで腐れた根性を持っているので、よそ者面を決め込んで外野にいた。これが大間違いだった。

僕がすごく変わるきっかけになった言葉とは

“生え抜き”だろうと“外様”だろうと、プロデューサーになった以上は番組の責任者だ。こんないっちょ前なことが言えるようになるまでだいぶ時間がかかったし、誤った意識もあった。プロデューサーになってまもなく、ある人にお願いごとをしたときのこと……。

「それは本当に宮嵜君がやりたいこと?」と聞かれた。

「『局から言われたから』だったらやりたくない。宮嵜君がプロデューサーとして、この番組に本当に必要だと思うんだったらやる」

 僕はここからすごく変われた。

「所詮、局員じゃないし」みたいな拗ねた自意識を持っていたことに気づかされた。誰がなろうとプロデューサーはプロデューサーだ。どれだけ番組のことを思い、責任を背負えるかが重要で、そのプロデューサーが局員だろうと制作会社だろうと関係ない。それは番組のクオリティに関わりっこないし、リスナーにとってもどうでもいいことだ。ディレクターにはディレクターなりの自意識が発動し、プロデューサーにはプロデューサーなりの自意識が発動する。プロデューサーになって二年目で「おぎやはぎのメガネびいき」が初めて聴取率調査でトップを獲得して、JUNK始まって以来、初めて月曜日から金曜日まで五曜日全て揃ってトップになった。

TBSラジオ『JUNK』プロデューサーが語る「僕を変えてくれた言葉」左からおぎやはぎの小木さん、宮嵜さん、おぎやはぎの矢作さん

 その後、揃ってのトップはあったりなかったり。ディレクターのときもそうだけど、やるべきことは番組を終わらせずに長く続けること。そのためにはたくさんのリスナーがいて、スポンサーが付く状態を続けること。幸いパーソナリティは最高の面々だ。ついでに制作会社の僕にとって番組の終了は自身の食い扶持の喪失にも繋がる。

 安定してきたら次にすべきことは何か。プレイヤーの部分を削りマネジメントに徹すること。会社からもしつこく言われていた。いつまでも現場に行くんじゃなくて、後輩たちに任せて番組やスタッフのマネジメントをしてくれと。だけどプレイヤーであることが染みつきすぎていて、頭ではわかっていてもなかなか割り切ることができなかった。