近年、盛り上がりを見せているラジオ業界。雑誌ではたびたび「ラジオ特集」が組まれ、テレビでも「ラジオ芸人」の企画もよく目にするようになっています。そんな中、伊集院光さん、爆笑問題、山里亮太さん、おぎやはぎ、バナナマンを擁し、深夜ラジオで確固たるポジションを築いているTBSラジオ『JUNK』の統括プロデューサーを務める宮嵜守史さんもはじめてプロデューサーになったときは相当なプレッシャーがかかったそうです。著書『ラジオじゃないと届かない』(ポプラ社)より、プロデューサーの苦悩、後輩や仲間の重要性を紹介します。
プロデューサーになり切れない自分
JUNKのプロデューサーになって11年が経った。
ディレクターがプレイヤーだとすると、プロデューサーはマネージャーだ。とにかく番組を支えるポジションであると考えている。JUNKのプロデューサーになったとき、ゼロから携わった番組がある一方、諸先輩方が作った既存の番組もあった。重責だ……これは終わらせるわけにはいかない。前任の池田さんから受け取ったバトンを自分の代で落とすわけにはいかない。その一心だった。
僕自身、「雨上がり決死隊のべしゃりブリンッ!」や「極楽とんぼの吠え魂」終了後の虚無感はとんでもなかった。あんな経験はもうしたくない。なにより最終回にTBSまで来てくれたリスナーのあの寂しそうな顔は二度と見たくない。