TBSラジオ『JUNK』プロデューサーが語る「僕を変えてくれた言葉」TBSラジオ『JUNK』木曜日の「おぎやはぎのメガネびいき」を担当するおぎやはぎの小木博明さん(左)と矢作兼さん(中央)と統括プロデューサーの宮嵜守史さん(右)

近年、盛り上がりを見せているラジオ業界。雑誌ではたびたび「ラジオ特集」が組まれ、テレビでも「ラジオ芸人」の企画もよく目にするようになっています。そんな中、伊集院光さん、爆笑問題、山里亮太さん、おぎやはぎ、バナナマンを擁し、深夜ラジオで確固たるポジションを築いているTBSラジオ『JUNK』の統括プロデューサーを務める宮嵜守史さんもはじめてプロデューサーになったときは相当なプレッシャーがかかったそうです。著書『ラジオじゃないと届かない』(ポプラ社)より、プロデューサーの苦悩、後輩や仲間の重要性を紹介します。

プロデューサーになり切れない自分

 JUNKのプロデューサーになって11年が経った。

 ディレクターがプレイヤーだとすると、プロデューサーはマネージャーだ。とにかく番組を支えるポジションであると考えている。JUNKのプロデューサーになったとき、ゼロから携わった番組がある一方、諸先輩方が作った既存の番組もあった。重責だ……これは終わらせるわけにはいかない。前任の池田さんから受け取ったバトンを自分の代で落とすわけにはいかない。その一心だった。

 僕自身、「雨上がり決死隊のべしゃりブリンッ!」や「極楽とんぼの吠え魂」終了後の虚無感はとんでもなかった。あんな経験はもうしたくない。なにより最終回にTBSまで来てくれたリスナーのあの寂しそうな顔は二度と見たくない。

 他方で、僕は放送局の人間ではなく制作会社の人間だ。なので雇われ店長のような意識がないわけじゃない。まして既存の番組にプロデューサーから入ることは、その意識を余計に増幅させる。当初、その意識が強かったのか、なかなか全ての番組に心身ともにコミットできない自分がいた。ラジオは番組ごとにチームの結束が固いので、そこに分け入るには精神的カロリーがまあまあかかる。元来面倒くさがりで腐れた根性を持っているので、よそ者面を決め込んで外野にいた。これが大間違いだった。

僕がすごく変わるきっかけになった言葉とは

“生え抜き”だろうと“外様”だろうと、プロデューサーになった以上は番組の責任者だ。こんないっちょ前なことが言えるようになるまでだいぶ時間がかかったし、誤った意識もあった。プロデューサーになってまもなく、ある人にお願いごとをしたときのこと……。

「それは本当に宮嵜君がやりたいこと?」と聞かれた。

「『局から言われたから』だったらやりたくない。宮嵜君がプロデューサーとして、この番組に本当に必要だと思うんだったらやる」

 僕はここからすごく変われた。

「所詮、局員じゃないし」みたいな拗ねた自意識を持っていたことに気づかされた。誰がなろうとプロデューサーはプロデューサーだ。どれだけ番組のことを思い、責任を背負えるかが重要で、そのプロデューサーが局員だろうと制作会社だろうと関係ない。それは番組のクオリティに関わりっこないし、リスナーにとってもどうでもいいことだ。ディレクターにはディレクターなりの自意識が発動し、プロデューサーにはプロデューサーなりの自意識が発動する。プロデューサーになって二年目で「おぎやはぎのメガネびいき」が初めて聴取率調査でトップを獲得して、JUNK始まって以来、初めて月曜日から金曜日まで五曜日全て揃ってトップになった。

TBSラジオ『JUNK』プロデューサーが語る「僕を変えてくれた言葉」左からおぎやはぎの小木さん、宮嵜さん、おぎやはぎの矢作さん

 その後、揃ってのトップはあったりなかったり。ディレクターのときもそうだけど、やるべきことは番組を終わらせずに長く続けること。そのためにはたくさんのリスナーがいて、スポンサーが付く状態を続けること。幸いパーソナリティは最高の面々だ。ついでに制作会社の僕にとって番組の終了は自身の食い扶持の喪失にも繋がる。

 安定してきたら次にすべきことは何か。プレイヤーの部分を削りマネジメントに徹すること。会社からもしつこく言われていた。いつまでも現場に行くんじゃなくて、後輩たちに任せて番組やスタッフのマネジメントをしてくれと。だけどプレイヤーであることが染みつきすぎていて、頭ではわかっていてもなかなか割り切ることができなかった。

 今になって思えば、とても良くないことをしていた。マネジメントはマネジメントでもマイクロマネジメント状態(めっちゃ細かく言ってくる奴)だった。ディレクターは鬱陶しかったろうなぁ。僕がディレクターだったときに一番嫌だったことを自分がしていた。もっと縁の下の力持ちにならねば……という意識を持って引いて見ると、JUNKはパーソナリティだけじゃなく本当に個性豊かなスタッフによって作られている。

二人の放送作家、鈴木工務店とオークラ

 深夜ラジオを聴き続けているとパーソナリティと放送作家の“バディ感”が伝わるはず。

 本番中、パーソナリティのすぐそばにいる放送作家は同時に様々な役割を果たす。情報を添えたり次に読むメールを決めたり。本番以外には企画を考えたりする。僕には、ディレクターになってからずっと一緒に仕事をし続けている放送作家が二人いる。鈴木工務店さんとオークラさんだ。

「メガネびいき」の作家・鈴木工務店さんは、おぎやはぎが偏ったことを言ったとき、フォローの一言を入れてくれる、なくてはならない存在。オークラさんは、“三人目のバナナマン”と言われるだけあって、「バナナムーンGOLD」にとって表でも裏でも不可欠な存在だ。

 二人とは「極楽とんぼの吠え魂」が出会いだった。

 26歳のとき、「吠え魂」のディレクターになった。極楽とんぼが怖くて怖くて仕方なかったが、工務店さんが間に入ってフォローしてくれたのを今でも覚えている。放送で使うBGMから素材の編集まで、放送前に細かくアドバイスをくれた。工務店さんのアドバイス通りに素材を作り直すと実におもしろくなる。

 いわゆる座付き作家ではないのだけど、工務店さんは当時「めちゃイケ」を担当していたこともあって、極楽とんぼを熟知していた。極楽とんぼの単独ライブにも作家として入っていた。単独ライブに入る作家は本当に信頼されている証拠だ。

 作家がラジオで用意する原稿は千差万別で、「こんなやりとりどうですか?」的に想定のやりとりを書くパターン、話題の要素を箇条書きにしておくだけのパターン。結構細かく書くものからほとんど何も書かないものまである。パーソナリティによって、番組の毛色によって様々。

 工務店さんは原稿をしっかり書くタイプ。手書きなんだけど、文字のクセが強くて時々読めなかったりもした。さすがに今はパソコンを使っている。そんなクセ字で書かれたコントのようなやりとり。加藤さんと山本さんに割り振った掛け合いが、いかにも極楽とんぼだった。毎週、原稿が届くと黙読しては笑っていた。もちろん本番で極楽とんぼが書かれたそのままをやることはないのだけど、準備としては不可欠なものだった。