また、既存プレーヤーとの「差別化」ではなく、顧客視点に基づいたまったく新しい価値を生み出さないと新規事業は成功しないということも、田口さんは口を酸っぱくして言っていた。
マーケティングの経験者は、口を開けば「差別化せよ」と繰り返すが、新規事業において「競合と差別化できる商品をつくろう」という発想では、プロダクトアウトのつくり手側のロジックに陥り、結果として顧客の支持を得られないものを生み出す可能性が高いというのだ。
ある日の事業プレゼンの席では、私の事業構想について田口さんからこんな指摘をされた。
守屋 実 著
「守屋君、君の事業の競合はどこなの?」
「競合は、いまシェアの3割を占めているA社です」
「う~ん。その事業、もう一度マーケットアウトの発想で練り直さないと失敗するぞ」
「なぜですか? 競合が強すぎるからですか」
「違う。競合の名を挙げている時点で、競争相手中心の思考になっていて、顧客視点で考えていないからだ。競争に負けるのが負けなのではなく、競争していること自体がすでに負けへの一歩。差別化じゃなくて独自化できる事業じゃなきゃ、最終的に失敗する可能性が高い」
自分で「競合はどこ?」と質問しておいて、素直に答えたら「競合を挙げてる時点でダメだ」というのは、ずいぶん意地の悪いひっかけ問題だと当時は憤慨(ふんがい)したものである。
それで、「じゃあ、どうしたらいいですか?」と聞くと、「それを考えるのが君たちの仕事だ。君たちは経営者なのだから」と、参画するすべての人に対して、起業家としてシビアに接していたのである。
起業の起は「己」が「走る」と書くように、育つ気のある人に挑戦できるプラットフォームを提供することが、田口さんにとっての教育なのだ。
「あれをやれ、これをやれ、そっちじゃない、こっちだ、いまは突っ込め、もう止めろ」と事細かに指示を出すのは、出すほうも出されるほうもじつは楽なやり方だ。
しかし、事業を創出するということは、経営に関するありとあらゆるすべてのことを、将来にわたって見通して手を打っていくということである。しかも、いくら考えてもわからないことが多いし、全容がわかる前に、決断して手を打っていくことが当たり前に求められる。
だから田口さんは、未熟な私が一人前になれるように、経営者として考えねばならぬことを問い続けてくれたのだ。