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新規事業は多産多死で簡単には成功しない、厳しいものです。新規事業の成功には、いくつかのポイントがあったのです。本稿では、「ラクスル」の創業メンバーで多くの事業を手がけてきた守屋実氏が、自身のエピソードを交えて、成功させるための経営者の役割について紹介します。
新規事業だけをつくる会社
2002年、私は10年勤めたミスミを離れ、田口さんがつくった「エムアウト」という会社で新たな事業を始めることとなった。
田口さんからのお題は、「新規事業だけをやる会社をつくる」ということだった。そこで私は、どうしたらそれが実現できるのかを必死で考え、行き着いた答えは、「自社の社員、自社の資金、自社のアイデアで事業を生み出し、うまくいったら売却し、その売却益でまた新規事業をつくる」というビジネスモデルであった。
理由は、新規事業をつくってうまくいくと、それが本業となってしまうからだ。本業をもってしまうと、それ以降の新規事業は常に本業の影響を受けることになる。たとえば、いくら素晴らしい新規事業だとしても、自社のマーケットを喰ってしまうようなビジネスは、そもそも本気でできない。
だから、うまくいってもいかなくても、一定の段階で手放すことで、常に新規事業だけをやり続けられる環境をキープすべきである、と考えたのだ。
さらに、田口さんからは、「当たるか失敗するかの博打(ばくち)のようなやり方ではなくて、再現性をもって新規事業をつくってくれ」というオーダーもあった。
これまで繰り返し述べているとおり、新規事業は多産多死で簡単には成功しない、厳しいものだ。だから、新規事業でメシを喰うプロ集団として商売をするために、新規事業の成功確率を上げる「基本の型」をつくって再現性をもて、ということを、エムアウトへの参画当初から、何度も何度も、指摘を受けていたのだ。
たとえば、こんなエピソードがある。当時、高齢者を対象にした訪問歯科診療の事業と、キャリア女性向けのアパレル事業の2つのプロジェクトを抱えていた私は、田口さんから、「君、いま2つの新規事業をやっていると思っているだろうが、それじゃあダメだ」と指摘されたのである。
「経理の担当者が3つの事業の月次決算を抱えているとき、私は3つの事業をやっていますとはいわないだろ。君は新規事業を専門でやっているんだから、2つの事業を抱えてるのではなくて、1つの新規事業しかやっていないんだ」
「でも、業種も業態も顧客も違いますから…」
「違うところに注目したら、そりゃ違うものに見えるだろ。でも、それぞれ違うと思った瞬間に量稽古にならなくなるじゃないか」
「じゃあ、同じところはどこですか?」
「だから、君は新規事業だけをやっているんだから、それが同じところだろう。そう思えなくても、そう思うんだ。すべて共通だと思えば、やがて、本当に共通項が見えてくる。そうすることで、起業専業企業としての勝ち戦のポイントを見極めていくんだ」
そのときは、「はい、わかりました」とは言いつつも、心の奥底では「やっぱり1つのことをやっているとは思えない」と困惑したが、それでもエムアウトの社員たちは皆、連続起業・同時起業を繰り返し、失敗が重なったときには、「なぜこんなにも失敗ばかりするのだろうプロジェクト」や、たまにうまくいったときには、「なぜ今回はうまくいったのだろうプロジェクト」というような、組織的に知見を蓄積していくプロジェクトを立ち上げて、「型化」に邁進(まいしん)したのである。
そういう意図でやっていたので、何度失敗しても田口さんからは、「いくら損したと思っているんだ」という叱責(しっせき)を受けることはなかった。
しかし代わりに、「この失敗で何がわかって、まだわかっていないことは何だ」「次、どうすればうまくいくのか考えろ」と徹底的に詰められて、「よし、次行け」と言われ続ける。
オーナー社長に「お前のせいで、なんぼ損させられたと思っているんだ」という責め方をされたら、サラリーマンとしては責任の取りようのない話で、「じゃあ、止(や)めます」とも言えるのだが、田口さんのように、「失敗しても、絶対に止まるな」「次はどうするんだ」と詰められると、前進するしかなくなる。
私としては、失敗するたびに「ああ、またダメだった」と落ち込むのだが、こちらが意気消沈していてもお構いなしに、「その失敗で得た学びを、次に生かせ」とやられるので、ある意味では責任を追及されるよりキツいものがあった。
しかしながら、トップがこういうマインドでいてくれたからこそ、私は20年間で17回もバッターボックスに立たせてもらい、負け越しながらも、5つの事業を生み出すことができたといえる。
田口さんの新規事業に対する経営感覚や忍耐力というのは、当時、一介のサラリーマンだった私にはまったく理解が及ばなかったが、連続で失敗して数億円の資金を溶かした私に、落ち着いた様子で「じゃあ、次に行け」と言ってくれたその懐(ふところ)の深さ、器の大きさが、いまになって身に染みるほどわかるようになった。
本当に、アタマが上がらない、いまの私を形成する一生の恩人である。







