もっとも、1から100まで乱数を発生させ、出た目に相当する元三大師おみくじの偈文を見れば、いつでも自分で将来を占うことができる。だが、実際にそのようなことをする人は少ないだろう。それなりに名の通った神社仏閣を訪れたとき、参拝のついでにおみくじを引く人がほとんどではないだろうか。

 なぜ、自作のおみくじではダメなのだろうか。その原因は“ハロー効果”にあると考えられる。

“ハロー”は聖像の頭部にある光輪のことで“後光”ともいう。後光が射しているものは、権威があるように見えてくるのである。多くの参拝客が訪れる立派な神社や、国宝の本尊を祀った寺院が提供するおみくじであれば、その“お告げ”も信頼できると思うのかもしれない。

 しかし、宝くじをどこで買っても当たる確率は変わりないのと一緒で、どのお寺で引いても元三大師おみくじならば凶の出る確率は同じである。もちろん、自家製のものでも同じはずだ。

 同様に“お守り”についても、有名な寺社のものを身につけるとご利益があるように感じてしまうのはハロー効果のなせる業だろう。

 また諸祈願や厄除けをしようと思ったとき、どの寺社を利用すればよいか判断に迷うだろう。通常の財・サービスと異なり、祈りから得られる幸福感はきわめて主観的で第三者評価が難しい。祈祷の内容も実際に体験してみないとわからない場合が多いと思われる。このようなとき、私たちは情報収集はせずに、利用可能な情報に頼るだろう。

 そんなときに、私たちが頼りにするのは“よく見かけるもの”や“印象に残っているもの”といった記憶だったり、「そういえば○○さんがこれがいいって言ってた」などという口コミの評判である。

書影『お寺の行動経済学』(東洋経済新報社)『お寺の行動経済学』(東洋経済新報社)
中島隆信 著

 A・トベルスキーとD・カーネマンは、このように利用可能な情報に飛びついて素早く決断をくだす傾向のことを、“利用可能性ヒューリスティック”と名付けた。

 従来の経済学では、市場経済の正常な働きを担保するのは“選択の自由”だとみなし、それゆえ選択肢は多ければ多いほどハッピーになると考える。ところが、選択肢が多すぎると選ぶのに時間がかかってしまい脳が疲労する。ネットで商品を買おうと検索エンジンを利用するときもすべての検索結果に目を通すことはしないだろう。レストラン街で食事をするときも、事前に店を決めておかないと選択するのに手間がかかり、それだけで疲れてしまう。

 私たち人間の脳はほかの動物に比べて大きく、エネルギーを多く使うので、ここぞというときのために休ませておく必要がある。そのため、意思決定を行う場合も、なるべく頭を使わないでササッと済ませたがる傾向にあるのだ。