思い当たる節もあり、次の厄年には厄払いや健康祈願でもしておいた方がいいと思うかもしれない。別に強制されるわけではないが、「やっておいた方がよくないかい?」と“突っつかれている”ような気持ちにはなる。これこそナッジである。さすがに65歳を過ぎると、体力も落ちて病気がちになるので、ことさらナッジを利かせる必要などなくなるのかもしれない。
厄除けは陰陽道を起源とし、平安時代以来の歴史ある風習のようだが、現代でも寺社の提供するサービスとして根強く残っているところを見ると、ナッジとして効果は絶大といえるのではないだろうか。
どの寺社の権威に頼ればいいのか
自分の頭では考えない
“おみくじ”は私たちにとって最も身近な祈りのひとつである。どのような人たちがおみくじを引くのか住職に尋ねたところ、若い人たちがほとんどで、とりわけカップルが多いという。
その理由は、人生の不確実性の高さにあると思われる。可能性に溢れていると言い換えてもいいかもしれない。
カップルの場合、最も関心の高いのは“恋愛運”だろう。吉と出れば喜び合えるし、悪い結果が出たことで気まずい雰囲気になっても若いのでやり直すことができる。若者が“占い”を好む傾向にある理由も説明できる。
年齢が上がるにつれ、やり直しはきかなくなり、人生の終着点が見え始めてくると、もはや“おみくじ”を引くインセンティブは薄れるだろう。先はそれほど長くはないのだから、いまさら将来のことを占ってみたところであまり意味はない。恋愛運で“凶”と出た日には、まさに“傷口に塩を塗る”ようなものだ。
おみくじは、平安時代に天台宗の僧侶である良源が創作したとされ、100種類の文章によって構成され、番号が振られている。信者はおみくじ箱からランダムに取り出された番号に相当する文章をもらうしくみだ。その内容は仏教的には観音菩薩から下された偈文(教え)という扱いであり、良源の通称にちなんで“元三大師おみくじ”と呼ばれる。
天台宗のお寺で提供されるおみくじはほとんどがこれである。庶民の間で流行したのは江戸時代になってからだそうだ。
100枚の偈文はすべて五言絶句の漢詩で構成されていて、その吉凶の内訳は“大吉”が全体の7分の1、“凶”が全体の3分の1を占めているのは妥当な感じだが、肝心なのはその中身だ。
そこには、これを受け取ったらかなり衝撃を受けそうな文言が並んでいる。たとえば、「夫婦が離れ離れになる」「財産を失う」「身を滅ぼす」「猛火が起こり逃げられない」などと書かれたものもある。ある住職は、あまりに過激な内容の偈文をおみくじの中から除いているという。