一方、イスラム社会には、災いのなかにあるときに敵を創り出そうという発想がありません。陰謀論を唱えるムスリム(イスラム教徒)はいくらでもいますが、イスラムそのものには、陰謀論の発想はありません。感染症が広がったからといって、人間社会の内部に「敵=原因者」を求める発想がないのです。
これは大きなことだと思います。見た目が違いますので、イスラムが生まれた当時のアラビア半島でも、もちろん、人種の違いがあることはわかっていました。言葉が違うので、今で言う民族の違いがあることもわかっていました。
しかし、その違いを人間のあいだの優劣、上下に結びつける発想がイスラムにはありません。もちろん、現実の社会で人種や民族の差別はありますが、敬虔なムスリムになるほど、差別意識は消えていきます。
西欧文明のように、自分たちが先進的な文明世界で、他は遅れている、だから自分たちについてこいという意識はありません。
西欧世界は、何世紀にもわたって、人間や社会のあいだに「進んでいるvs.遅れている」「優れているvs.劣っている」という分断をつくりだしては、他の世界を攻撃したり、支配したりしてきました。
そのことは歴史的事実です。そして、後になって少しずつ反省し、軌道修正しますが、必ず軌道修正した自分をほめて、変わっていない世界を見下します。これは、近代以降の西欧の「困った思考回路」です。
NATO軍が無法に人を殺しながら
死刑廃止を説くEU諸国
死刑もそうです。今のEUは死刑制度を廃止していますが、第二次世界大戦後も制度は残り、執行もしていました。フランスは、1981年になってようやく廃止、イギリスも1998年に制度を廃止しました。EUで死刑廃止を決めたEU基本権憲章が、リスボン条約の発効によって法的拘束力をもったのは2009年のことです(調印は2002年)。
そうなると、今度は死刑制度を存続させている国への批判を始めます。「廃止」したことが「進歩」だと確信していますので、それを続けている国は「遅れて」おり、批判しなければいけないというのです。日本にも死刑制度が残っているので、刑が執行されるたびに、EUは日本を非難してきました。