虹色の旗を持った手写真はイメージです Photo:PIXTA

キリスト教世界の諸国は、18世紀の産業革命以来、世界をリードしてきた。昨今ではその相対的な地位は低下しつつあるが、それを補おうとするかのように、理念の先進性でマウントを取っている。だが、西欧諸国が叫ぶ死刑廃止や同性婚解禁、性自認の尊重は、果たしてほんとうに進歩であり、そこに多様性があるのだろうか。それらを許容しない社会は遅れていると批判する人々に、イスラム地域研究者が反論する。本稿は、内藤正典『分断を乗り越えるためのイスラム入門』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。

後発の一神教・イスラムは
ユダヤ教・キリスト教を全否定しない

 イスラムが誕生した7世紀、一神教のキリスト教徒やユダヤ教徒がいることは知られていましたし、預言者ムハンマドのまわりには多神教徒もいました。

 一神教とは、神は一人だという宗教。ユダヤ教、キリスト教、イスラムという三つの一神教を考えると、神は同じでないと「一神教」が成り立ちません。

 ここで大問題が起きます。先にできた一神教から見ると、後から別の一神教が出てきた場合、その宗教の神と自分たちの神が「同一」でないと神が二人いることになってしまう。しかし、どんな宗教だって自分たちの方が完全な宗教だと信じているわけですから、後発の方は偽物にしか見えません。

 イエスが登場したときに、ユダヤ人は彼を偽物だとして罵り、十字架につけろとローマ総督のピラトに迫ります。同じように、キリスト教徒から見れば、6世紀も後になってアラビア半島の砂漠に、別の一神教が誕生したと聞いても、そんなものは偽物以外の何ものでもなかったはずです。

 ところが、後からできた方は、先輩の一神教を全否定しません。

 一神教の場合、神は超越的な存在ですが、必ず、人間(信者)にメッセージ(啓示)を発します。それを受け取った人(誰でも受け取れるわけではありません)が、預言者になります。未来を当てる「予言者」ではありません。神の言葉を預かった人という意味での「預言者」です。

 後発の一神教から見て、先輩の一神教を偽物にすることができないのは、神のメッセージはいつでも本物だということにしないと矛盾が起きるからです。絶対者であるはずの神が、モーセやイエスに偽りのメッセージを与えたことになってしまいます。そうすると、新旧の一神教のあいだで、「どちらが本物か」という不毛な論争が続くことになります。

 神というのは、無謬の存在でないと宗教は成り立ちません。神様も間違えるからイエスに与えたメッセージは出鱈目だった、ということにはならないのです。話は逆で、神は絶対者ですから、イエスにも正しいメッセージを残した。さかのぼって、モーセにも正しいメッセージを残した、そして最後にムハンマドにメッセージを残したのです。

 ユダヤ教徒もキリスト教徒も神の使い(使徒・預言者)であるモーセやイエスの教えを受け取ってユダヤ教徒、キリスト教徒になりました。しかし、後になって、そのメッセージの一部を誤って解釈した(神様が間違えたんじゃない)とイスラムは言います。ユダヤ教徒が間違えたのは、自分たちの民族が神によって「選ばれた」と考えたこと、キリスト教徒の間違いは「父と子と聖霊の三位を一体」とし、イエスを神の子にしてしまったことだと言います。