札束を持ち笑う男性写真はイメージです Photo:PIXTA

中国の“フツーの人たち”が引き起こす、荒唐無稽な事件を、芥川賞作家の楊逸が厳選して紹介します。借金の代わりに、社長の愛人と(書類上の)結婚をした王。すぐに離婚届けを出す約束が、一変、離婚はしないと言い出します。王が思いついたアイデアとは、一体……?

※本稿は、楊 逸『中国仰天事件簿―欲望止まず やがて哀しき中国人』(ワック出版)の一部を抜粋・編集したものです。他の事件にも興味のある方は是非、単行本をお読み下さい。

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 文々(ウェンウェン)は驚いて後ずさり、表情を一変させた。

「触らないで! 離婚してくれなければ、裁判を起こすわよ」
「けっこうじゃないか。離婚しても子どもの親権は僕が持つように、裁判戦略はすでに練ってある。息子がいなければきみはそのうちほんとに捨てられるんじゃないかな? きみは僕の前で哀れな愛人を演じるより、400万元を僕に払うように周を説得するのが得策だと思うよ」

 二連敗。焦る周(ジョウ)社長。400万元は彼にとって実は「すごい大金」というわけでもなかった。ただ金を脅し取るために「契約」を破った王を許せない上、脅しに屈して金を払うなんて納得いかないし、万が一この一件が他人に知られたら面子丸つぶれで、「若くて有能な実業家」というイメージも傷ついてしまう。

 彼は弁護士に相談するのと同時進行で、そっち系のボスに頼んで王に恐喝や嫌がらせをさせた。しかし病人の父のほか失って心が痛むような弱みを何一つ持っていない王には、一切効果がなかった。

「靴を履いた人は裸足のヤツに勝てない(金持ちは貧乏の無頼には勝てるわけがない)」――つまり400万元を払うのが一番損が少なくて済むと、弁護士と極道の両方から説得された。

 2011年の年明け早々、王は周社長に電話をかけ、「10日以内に口座に400万元の入金を確認できなければ、文々の住むマンションに引っ越す。彼女は法律上僕の妻で、息子の戸籍にも父親の欄には僕の名前が載っている。今後僕の妻子に会ったら警察を呼ぶぞ」と、通告した。

 周社長が折れた。400万元が振り込まれたのを確認した王は、今度こそ約束を守って翌日、1月17日に文々と離婚の手続きをした。

書影『中国仰天事件簿―欲望止まず やがて哀しき中国人』(ワック出版)楊逸『中国仰天事件簿―欲望止まず やがて哀しき中国人』(ワック出版)。書籍では、中国で実際に起こった驚きの事件を12件紹介しています。

 不義の男女から大金を奪い取った、という勝利を収めて、王は大いに喜んだ。懲悪の英雄である自分に惚れ惚れし、しばし酔いしれる。――昔の梁山泊の好漢然(しか)り、現代の革命児・毛沢東然り、彼らの称えられた壮挙は「劫富済貧(きょうふせいひん)」だ。金持ちから金を奪って貧しい庶民を救済し、社会の不公平を正したのではないか。極悪の周からもっとお金を取って、孤児院に寄付するとか、チャリティーで社会貢献しようじゃないか。

 そう思いつくと王はまた動き出した。――今度ターゲットに絞ったのは周社長の妻だった。

 彼はあの手この手を使って周の妻、張某(チャンなにがし)の電話番号を入手し、彼女を呼び出した。

「周社長に愛人がいて、この間男の子も生まれたってことご存知ですか?」

「は?」

 夫に愛人がいるようだとうすうす気づいてはいたけれど、まさか私生児まで生ませていたとは……。張の妻はさすがに驚き、空いた口が塞がらない。

「愛人が若くて美人、息子も丸々と太って可愛いしね、旦那さんはルンルン生活を満喫していますよ」
「女と私生児の住所、知ってるんですか?」
「もちろん。知りたいですよね。300万元の借用書を書いてくれれば、教えますよ」

 いきなり300万元の要求に、妻は躊躇した。目の前の男は、詐欺師かもしれない。彼女の目から疑いを読み取った王はにやけて、空咳を一つするとまた口を開いた。

「金持ちの周社長と離婚すればどれだけの財産をもらえるかは、彼が婚姻に忠実でなかった証拠にかかっているんですよね」

 実際、妻の張も離婚することを考えていた。権勢のある両親の元に生まれ育った彼女は平凡な容姿だったにもかかわらず、周の猛烈なアタックを受けて恋愛結婚した。娘の幸せを願って両親は、婿の周に資金を提供し人脈などの面でもサポートした。おかげで周は徐々に衣料品加工業界で頭角を現し、やがて一目置かれる存在にまで成長した。

 成功するや否や、妻に対する周の態度は冷え込む一方だった。触れ合う機会も話す機会もめっきり減って家に帰ってこない。会社経営にも金銭関係にも一切手を触れさせてくれない。その両親も無視するようにもなった。

 そんな夫との結婚生活を修復することなどもう望まない。ただ離婚するならば財産を1元でも多く取ろうと考えて、探偵事務所に依頼したこともあるが、調査に気づいた周は会社の警備員に命じて、探偵を捕まえて殴らせたあと、その場で写真など証拠になるものをすべて奪って破棄した。

「あなたの証言が本当である証拠は?」
「これ離婚届、女は周の愛人だ。今すぐ金をくれとは言っていない。離婚後財産が手に入ってからで良いんだ」

 王は、半信半疑の妻に離婚書類を見せながら、周社長との「取引」を話して聞かせた。

 夫の裏切りを聞き終えて、妻はすっかり王を信用した。極力怒りを抑えながらも彼女は、「取引」を受け入れ、300万元の「借用書」を書いて捺印した。

 2月中旬、王からもらった文々の情報を基に、張は従兄弟を伴い、夫の別宅の「家宅捜索」を行った。夫はちょうど「在宅中」で、愛人と私生児と一家団欒のところだった。壁一面に二人のウェディング写真がかけてあり、私生児は夫をコピーしたような顔をしている。

 ぱちぱち――カメラのシャッター音が響く中、不意を突かれた周社長は終始ポカンとしたまま、何が起きたかはわからない様子だったらしい。

 その場で妻は事前に用意した離婚届と財産分割協議書を取り出し、周社長に突き付けた。

 むろんサインするしかなかった。離婚を無事に成立させるために、その晩妻は親戚とともに別宅に居座った。翌朝周社長は半ば犯人が移送されるかのように、妻に連れられて役所に行き離婚手続きを済ませて、2900万元の財産は妻の手に渡ることが確定。

 王の企んだ通り、数日後彼の銀行口座には300万元が振り込まれた。あちこちに借金を申し込んでいた自分が、1年足らずで資産700万元ほどの「懲悪英雄」になったのだ。

 王英雄は50万元をチャリティー用の別口座に預け、残りの650万元を7000万元にするために、有望な衣料品加工業に投資した。

“取り引き”で得た金で起業したものの……

 会社を設立し、工場が稼働したのは2011年5月。王社長は名刺を大量に印刷し、周社長の下で働いていた頃に知り合った同業者を訪ね、あいさつ回りをする。営業してわずかひと月。オーダーが次々と舞い込んできた。低く設定した価格に魅せられたのか、かつて周社長のお得意様だったバイヤーは挙(こぞ)って王林に群がった。

 動きだした工場の生産力を大きく上回るオーダーなのだが、王は多くを考えずとりあえず、すべて引き受けた。それからは自分の工場を抵当に、銀行から800万元を借りて、生産規模を拡大した。

 この勢いで行けば、来年の今頃には売り上げは3000万元(6億円)を上回るだろう。ざっとそう見積もった王は喜びを隠せず、家の簡易ベッドに伏せって静養する父親に、「来年豪華な別荘を買って、ベッドもフワフワのフランス製のキングサイズに替えてあげるね」と大口を叩いた。

 2011年9月、王林の工場の製品は全国あちこちに出荷された。バイヤーから順次代金が支払われるのを待ち望みながら、更なる事業拡大を考えている。

 最初の返品が届いたのはちょうどひと月後のことだった。それからというもの、自分の送った製品は、まるではじき弓で放たれた小石の如く、次々に送り返されてきた。返品は送ったものの8割に及び、戻されていない製品は、契約当初に支払われた20%の契約金分だというのだ。

 また返品理由はいずれも、製品のデザインや製法、素材など注文した際の基準を満たしていないため、売れない、というもの。