それで、保育園に楽しく通っているようなのだが、たまに登園したくないような日は「お昼寝が嫌だ」とぐずる。で、様子を見ていると、どうも半分本気で、残りの半分はイチャモン的な難癖である。パパママと離れたくない気持ちや家で過ごしたい気持ちが強いとき、何か理由をつけて登園を渋り、「お昼寝が嫌」はその理由のひとつとして挙げられるものとなったのである。
この要求をどこまで受け止めるか、保護者の判断はとても難しい。園に限らず学校に関しても「子どもに無理して行かせるべきではない。行きたくない日は休ませれば良い」という考え方が広まってきてはいるが、「子どもの自主性を尊重する」と「子どもの要求をすべて受け入れる」は厳密なイコールではないので、子の心身への影響と教育的効果を踏まえつつどちらの判断がより正しいと思えるか、その時々で選んでいかなければならない。
自主性とは、人が社会の中で取りうる行動様式のひとつであり、然るべき社会性が育まれていてこそ自主性もまた発揮される。つまり、子どもに社会性を教える機会があればなお好ましい。社会性と自主性は相互に作用しあって育まれうるからである。
筆者世帯の場合だと、娘はちょうど中間反抗期というものに入っているようで、本当に何もないようなところに原因を見出して駄々をこねるので、すべての要求に従うのは得策ではないと判断して、要求を飲めないときは理由をきちんと説明するようにした。娘に、社会性の意義への理解を得ようという試みだが、それでもモメるときはおおいにモメる。
「お昼寝」を認めるか否かの
二元論で見てはいけない
お昼寝ハラスメントが取り沙汰されてしまうような現場では、まず保育士と保護者がやり取りを緊密にして同じ保育者として信頼関係を築くこと、そして「社会性と自主性」の2つをどのようなバランスで子に教えていくかを、相談の上共有できるのが理想的である。
これまで慣例的に「当然良し」とされてきた園での午睡が、配慮すべき事柄として最近注目を集め始めたことはいい兆候である。「お昼寝ハラスメントを認めるか・認めないか」という二元論で見るのではなく、「なぜ『お昼寝ハラスメント』という考えが出てきたのか」を考えることで、今までになかった気づきをもとに、午睡への認識を次のステージに進めることができるはずである。