単純計算すれば、残り700万台は使われないままどこかに放置されていることになる。この膨大な数にポテンシャルを感じた青山は、「パソコンのリサイクルで起業しよう」と一気にアクセルを踏み込んだ。しかし、パソコンにはまったく詳しくなかった。CPU、メモリなど基本的な専門用語の意味も知らない。それでも一直線に駆け出したのは、「目的」を果たすためだった。

「本当に怖いのは、お化けじゃなくて人間」

青山は1990年、横浜市で生まれた。近所に祖父母の家もあり、幼少の頃からほぼ毎日、顔を出していた。祖父母が大好きだった青山には、忘れられない思い出がある。

祖父は、前歯が差し歯だった。ほかの歯と色が違ったので、青山少年は無邪気に「なんで?」と尋ねた。「これは本物の歯じゃないんだよ」と答えた祖父に、少年は「なんで?」を重ねた。その時、祖父はしっかり説明しようと思ったのだろう。

戦争の時、友人が不発弾を触っていたら突然爆発して目の前で死んでしまったこと、その爆風で歯が欠けたことを、子どもにもわかるような優しい言葉で教えてくれた。その話を今でも覚えている青山は、なによりも祖父の暗い表情が印象的だったと語る。祖母からも時折、戦争の思い出話を聞いていた。その頃、お化けを心底恐れていた青山少年に対して、祖母は「本当に怖いのは、お化けじゃなくて人間だからね」と言っていたそうだ。

当時は意味がよくわからなかったが、幼心に「戦争=怖いもの」として刷り込まれたのは、想像に難くない。青山は成長するにつれて国際問題や平和に関心を持ち始め、高校時代には「国連で働いてみたい」と思うようになっていた。

進学した慶応義塾大学では、国際問題啓発サークルに参加。先輩がボランティア活動していたカンボジアで地雷除去活動をしている日本人がいることを知り、大学2年生の時、ドキュメンタリー映画を作ろうと現地を訪ねた。そこで「人間はほんとに怖い」と実感したという。

カンボジアを訪れたときの写真(写真提供:青山氏)
カンボジアを訪れたときの写真(写真提供:青山明弘氏)

「めちゃくちゃ頭がいい人たちが本気で開発している兵器なので、いかに人間を苦しめるか、軍の兵力を減らすかが考え抜かれているんですよね。それに内戦時に虐殺が行われた現場に行くと、今でも雨が降ったりすると土のなかから人骨が出てくるんです。自分の身内や知っている人がこれに巻き込まれたらと思うと、なんとも言えない感情になりました」

ただし、現地で希望を感じることもできた。取材をした内戦時の元兵士は、「当時は貧しくてなんの知識もなく、『悪魔』と教え込まれた敵と戦っていた。でも、今思えば自分と同じように大切な家族を持つひとりの人間だっただろうし、飲みに行ったら仲良くなれたかもしれない」と言っていたのだ。この言葉を聞いて以来、「貧しさの解決と相互理解が、引き金を引くのを止める力になるのでは」と考えるようになった。