イライラ、ムカムカが続くのはホルモンバランスの影響もあるでしょうし、他にもさまざまな要因が考えられます。睡眠不足だったり、栄養バランスが崩れていると思うなら、睡眠時間を増やし、バランスのとれた食事を心がけます。

 やり残していること、気がかりになっていることがないかも確認します。それらは心のあちこちに引っかかって、心の風通しを悪くしていることが多いのです。

 出すべき書類を出していない、切れかかっている電球を替えていない、靴や洋服がボロになっている、お墓参りをしていない、中身がゴチャゴチャの引き出しを整理していないなどです。たくさんある場合には、優先順位をつけて一つずつケリをつけていくしかありません。

 お酒を飲めない方には申し訳ないのですが、お酒は憂いを払う箒と言われるように、少しのイライラや不安などは美味しいお酒を飲めば「まあ、どうでもいいや」と思えて気分が晴々するものです。実際、世の中の多くのことは、自分の力ではどうしようもないことや、どちらでもいいことが多いものです。潔く諦めるのは素面(しらふ)の時でもできますが、お酒の力は大きな助けになるでしょう(飲めない人が無理して飲んではダメですよ)。心をプラスではなく、ニュートラルな状態にするのも、いいものです。

いい気分が循環する「感謝」の練習

 日本語の「旦那」はサンスクリット語の「dana(ダーナ)」の音写語です。夫や主人のことではなく、布施のこと。布は「広く行き渡らせる」という意味で、布施は広く施しをすることです。僧侶の私が布施を話題にすると「お金の話か」とウンザリする人もいるでしょうが、この項は、そんなみみっちいことを申し上げようとしているのではありません。

 仏教で説かれる布施は、施す人も施される人も、執着を離れているのが基本とされます。これをしてあげれば喜ぶだろうとか、あれをしてくれてありがとうと互いに意識しないのが本当の布施で、そのような布施がなされれば、なにものにもとらわれないおだやかな心になれると説きます。そんなことがありえるのかと思うかもしれませんが、親子や長年連れ添った夫婦の間では、時にそんな時間が流れることがあります。

 母親が赤ちゃんにおっぱいを飲ませる時は「飲ませてあげる」「感謝してもらいたい」とは思いません。おっぱいを吸う赤ちゃんにも「ありがとう」という意識はありません。そんな時、母と子はどこまでも心おだやかでしょう。手をつないで歩く老夫婦も似た雰囲気を持っています。慈愛という言葉がぴったりかもしれません。