“自律”と“能動”――いま、大学の教育と、企業の人材育成で必要なこと

学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第12回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)

* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」
* 連載第2回 ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと
* 連載第3回 アントレプレナーの誇りと不安――なぜ、彼女はフリーランスになったのか
* 連載第4回 学校や企業内の「橋渡し」役が、これからのダイバーシティ社会を推進する
* 連載第5回 いまとこれから、大学と企業ができる“インクルージョン”は何か?
* 連載第6回 コロナ禍での韓国スタディツアーで、学生と教員の私が気づいたこと
* 連載第7回 孤独と向き合って自分を知った大学生と、これからの社会のありかた
* 連載第8回 ダイバーシティ&インクルージョンに必要な「エンパワメント」と「当事者性」
* 連載第9回 “コミュニケーションと相互理解の壁”を乗り越えて、組織が発展するために
* 連載第10回「あたりまえ」が「あたりまえではない」時代の、学生と大学と企業の姿勢
* 連載第11回「自由時間の充実」が仕事への活力を生み、個人と企業を成長させていく

授業で、2つのアクティブラーニングの機会を提供

 神戸大学の朝の始業は8時50分である。後期の火曜日は「社会教育計画論」という授業から私の一日が始まる。この授業は、30名あまりの受講生を対象にして、仲間の教員と一緒に展開している。学生たちは、頻繁に起こる交通の乱れによる遅刻を除けば、たいてい、ほぼ全員が着席しておとなしく始業時間を待っている。

 この授業は1年生の学生を主な対象としているが、社会教育主事・社会教育士や学芸員といった専門職養成の一環として開講している授業なので、大学院生も含めた上級生も受講している。

 近年、サイエンス・コミュニケーションの意義が注目されたり、博物館や美術館の教育機能が改めて注目されたりなど、さまざまな領域と「社会教育」との関わりが社会の関心を集めている。「社会教育」というのは、学校教育のカリキュラムを除く組織的な教育を意味し、博物館や図書館や文化施設などでの教育活動のほか、ボランティア活動、サークル活動、スポーツやレクリエーション、日常的な活動に含まれる学びの要素なども含む、幅広い活動をターゲットにしている領域である。そのため、さまざまな専門を目指す学生が「社会教育」に関心を持ち、学ぼうとしている。

 授業「社会教育計画論」の最初の段階では、受講生たちに、学校教育を中心に考えてしまう教育や学びのイメージを崩してもらう必要がある。そのため、まず、社会教育がどのような歴史をたどって発展してきたのか、どのように社会教育が支えられているのか、といった基本的な事柄を講義形式で学んでもらう。

 また、社会教育のフィールドはとても幅広いので、学生たちが自分の関心と擦り合わせて「おもしろい」と思えるフィールドが必ずある。そのおもしろさの発見は、講義だけでは導くことが難しい。そこで、私たち教員は学生たちに、2つのアクティブラーニングの機会を提供する。

 ひとつは、社会教育の専門雑誌を300冊ほど教室に持参して、学生たちに自由に読んでもらう時間を設けること。学生たちは、興味が引かれたタイトルの雑誌を選び、読みふけり、教員が準備したフォーマットに気づきや感想をメモする。3コマにわたって雑誌を読み漁る時間を持つが、合間に、他の受講生とおもしろかった記事について語ったり、意見交換したりする時間も設ける。たくさんの雑誌の中から自分の関心に即して選んで読むことで、学生たちの能動性が引き出される。例えば、授業の振り返りに次のような記述を残してくれた受講生がいる。

“雑誌の講読を通じて、日本各地の事例を知ることができ、自身にとって大変勉強になる機会だった。私の地元も、いわば過疎地と呼ばれる地域だが、他府県にも同じ悩みを抱えている地域があり、行政や市民がその解決策を見いだそうとしている現状がわかり、感銘を受けた。今後、自身の地元の地域にも目を向け、社会教育が実践されている場に赴いてみたいという気持ちが生まれた”

 もうひとつのアクティブラーニングは、社会教育の現場を探し、出かけていき、その現場の情報を可能な限り集め、学習者や学習支援者に話を聞くフィールドワークである。フィールドワークで得た情報や、そこで得た気づきを簡潔にまとめ、その経験を他の受講生とシェアしていく。フィールドワークは、受動的な学習者にとっては「めんどうくさい活動」である。教員が受講生たちの前向きな気持ちを育てようと努力する一方、出かけていった先のフィールドで活動している人たちのパワーが、受講生たちの能動性に火を点けてくれる。

 学生たちは、“教えられたとおりに学ぶだけ”の存在ではない。学生たち自身で“生き生きとした知の体系を自分たちなりに再創造していく”のが大学での学びであり、授業はその再創造を側面から支援する役割にすぎない。特に低学年の学生には、「教えてもらう」学び方から脱却してほしいという思いを持ちながら、私たち教員は授業を組み立てている。物事の捉え方の多様性を体験し、さまざまな問題を自分事として捉え直すことのできる能動的な構えが、大学での学びの基礎になるのだ。