趣味がないのは、頑張って働いてきた証拠でもある
趣味がないのは、たしかに寂しいかもしれない。でも、それは仕事中心に生きてきたこれまでの話である。趣味に長い歴史がなければいけないわけではない。これから新たに始めたっていいのだ。仕事から解放されて自由な時間ができたから、何か新たに趣味を始める。それで十分だ。
人から「趣味は何ですか?」と尋ねられ、言葉に詰まってしまい、これはまずいと思い、趣味を探し始めたという人もいるが、つまらない人間だと思われないように、偽の趣味を想定して答えるようにしているという人もいる。これを趣味偽装というそうだ。
あまり変わった趣味を偽装して、興味を持たれてしまうと、質問されても実際はやっていないので答えに窮してしまうが、ありふれた無難な趣味を想定すれば、それ以上突っ込まれるリスクもない。実際は趣味があるのだが、あまりに変わった趣味で、人に言いたくないため、趣味偽装をしているという人もいるようだ。
いずれにしても、趣味がないからといって、「つまらない人生だ」などと全否定することはない。趣味がないのは、仕事一途に頑張ってきた証拠とも言える。ここでようやく仕事一途の生活から解放されたのだから、初めのうちは戸惑いも大きいかもしれないが、焦らずゆっくりと、やりたいこと、お気に入りの過ごし方を模索していけばいい。
趣味がなかなか見つからず迷うのは、それだけ一所懸命に働いてきたからだ――そう念頭に置いて、ここでじっくり迷うことができるのは贅沢なご褒美なのだと思えばいい。
仕事以外にどうしてもやりたいことが見つからないという人もいるだろう。その場合は、やりたいことと仕事が一致していたわけで、やりたいことをして稼いでこられたのだから、むなしいどころか充実した仕事人生だったと言ってよいだろう。