90歳目前、もっとうまくなりたいという執念を見せる
80歳になる頃からは、肉筆画に本格的に取り組むようになっていった。売れるものから離れていったとみることもできるだろう。
この時期、絵を描くための援助をしてくれる小布施の豪商、高井鴻山との出会いがあり、小布施で絵の制作に集中できる部屋を提供され、北斎は江戸と信州の小布施を4往復している。80代で江戸と小布施を徒歩で往復するだけでも大変なことだが、そこで数々の肉筆画を生み出し、東町祭屋台天上絵『龍図』『鳳凰図』や上町祭屋台天上絵『男浪図』『女浪図』などを描き、さらに岩松院の天上絵として21畳分の大きさの『鳳凰図』を89歳の時に完成させている。
89歳で病に負け天寿を全うした北斎だが、死に臨んで「天我をして十年の命を長ふせしめば」と言い、大きく息をついてさらに「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言ったという(飯島虚心著・鈴木重三校注『葛飾北斎伝』岩波文庫)。
90歳を目前にしても、あと5年の命を与えてもらえたら本物の画工になれるとまで言うのである。絵をもっとうまく描けるようになりたいという執念には驚かざるを得ない。
このように60歳を超えても新たな境地の開拓を絶え間なく行い、生涯にわたって絵師としての成長を目指し続けた北斎の生涯をたどってみると、60代や70代で弱気になっている場合ではないと勇気づけられるのではないか。