家族と暮らすことのできない国に
「グローバル人材」はやって来ない
渡部 前述したように、日本はそもそも難民認定される人が極めて少ないんです。そして昨年の入管法改正にて、3回目の難民申請からは、申請者を母国へ強制送還することができるようになりました。
難民該当性がないのに申請を繰り返すのを防ぐことが目的ですが、母国から逃れてきて、帰国すれば殺されるような人が認定されずに送還されてしまうかもしれません。一方で、4回目の申請でついに難民認定されたというケースもありました。
木村 真の難民申請者を優先するには、きちんと審査して、本当の難民と「偽装難民」を分けるべきなんです。そしてたとえ偽装難民でも、しっかりと働いてくれる人はそれなりの処遇をすべきです。
それに、入管法というのは、よく言えば柔軟性、悪く言えばかなりあいまいな法律でもあります。ですから、これを最大限活用すれば、本来は、技能実習制度のようなものがなくても、外国人労働者を受け入れるための仕組みづくりというのは、可能なはずです。
渡部 どのようなスキルセットや属性の外国人を、どのような規模や枠組みで受け入れるのかを政府が決めるのが「移民政策」だとすれば、「難民問題」は、属性を想定したり、受け入れる人数を決めきれるものではないので、例外的ともいえます。だからこそ、日本にたどり着いた時に、国際基準でしっかり審査できる制度や機関が必要です。
難民の審査には、人権保護の観点や、世界的な潮流や条約への専門性などが必要です。ただ、入管は検事出身の人が多く、難民政策に関してどうしても管理、つまり「国境管理」の観点で考えてしまいがちという指摘があります。
そのため、これらの観点や専門的な知見を有した独立した第三者機関が、客観的な視点でもって、審査や認定をしていく、そのような仕組みが必要だと思います。管轄や設計を大きく変えなければならない状況に来ていると思うのですが、どこからどういうふうに、この議論をしていくべきでしょうか?
木村 第三者機関をつくろうと提案しても、法務省が入管行政を手放すとはとても思えないんですよ。役所は縄張り意識が強いですからね。ですので、トップダウンで、法務省の規制行政(※)的なあり方を変えるしかない。
※国民の自由な活動を制限し、公共の目的を実現しようとする行政活動
渡部 次の入管法改正の議論のときに、ボトムアップだけではなく、トップダウンで変えてもらうしかないということでしょうか。
田原 そういうことは、総理大臣がトップダウンで指示しなければ、変えられない。
木村 ただ、相当な指導力が求められますね。安倍元首相でさえ、そこはしませんでしたからね。今の総理大臣は、法務省にものを言うのは難しいでしょう。法務省には保守的な人が多いですし、そもそも人手不足が問題だとわかっていない人もいます。
それに、これは日本の役所の特徴ですが、一方で規制緩和しながら、他方では規制強化する。各省庁で、所管する業種について、入国できる外国人の人数を制限できるんです。例えば建設業では、国交省が認めた特定の団体に入らないと、企業は外国人を雇えない。経産省も自分が所管する業種では、外国人の受け入れ人数を絞っています。そういうところでバランスを取っている。
田原 こうした状況を打破するには、やはり政治主導しかないのではないでしょうか。かつては官僚至上主義だったのを、安倍元首相が政治主導へと変えたのではなかったのですか。
木村 今はまた官僚主導に逆戻りしていますね。
日本人というのは、白人以外の外国人に対してえてして「上から目線」です。例えば、数年前、入管でスリランカの人が亡くなった事件(※)がありました。こうしたことが起これば、世界では、行き場を失った外国人を日本人はどう扱っているのかと思われる。
※ウィシュマ・サンダマリさんがパートナーのDVから逃れるために交番へ駆け込んだところ、学生ビザが切れていたために身柄を拘束される。名古屋入管に収容されたまま2021年に亡くなった。過度なストレスで健康状態が悪化した結果の衰弱死とみられている
熱意と技術を持つ外国人労働者にたくさん来てもらいたいのに、日本では、職業選択も限られ、家族を呼び寄せることもできず、ビザが切れたら収容されて、苛酷な状況下で過度なストレスにさらされる。地域格差や賃金だけでなく、そもそも外国人労働者を人間として扱っていないのではないかといわれています。転職の自由がなく、家族と一緒に暮らせないなんて、今の時代にそんなことがあっていいはずがありません。奴隷じゃないんですから。こんなことでは、人手不足が深刻な状況に陥っても、誰も日本に来たくなくなります。企業がほしがっている「グローバル人材」は皆、ほかの国へ行きますよね。
渡部 そうですね。世界的な潮流としては、当然ながら人権保護の観点が必要で、20〜30代の人が何年も、例えば配偶者や子どもなど、家族と暮らす選択肢がないというのは、人権保護の観点が欠けているといわれても仕方ありません。
田原 「このような状況はおかしい」という人が、なぜ多数派にならないのだろう。
渡部 そこで先ほどの話に戻るんです。外国人労働者が家族を日本に呼んで、定住者として日本社会の仕組みの中に入るとなると、抵抗が生まれる。
木村 そこに一定数の日本人は、心理的なバイアスがあるんですね。「外国人」と聞いただけでアレルギーを起こしてしまう。
田原 日本人は白人に対してはあまりそういう感情は抱かないのに、ほかの人種に対してはネガティブな感情が強いですね。
渡部 特に「定住」への拒否反応ですよね。「家族なんて呼ばれたら、定住してしまうのでは」と。