一方、主人公たちは、そうした状況から生まれる苛立ちや葛藤を経た後、以前とは違う形での夢との決別、前向きな意味での「あきらめ」に到達する。これがふたつめである。

 朝井のデビュー作『桐島』は、地方のとある県立高校に通う5人の高校生の視点から彼らの学校生活を描く作品だ。5人それぞれが物語の語り手となり、1章ごとに視点人物が変わり、別々の人物の目から学校での出来事が描かれる。

 5人は、学校内の階級・序列化の中での「上」や「下」に分かれており、所属する部活も異なるのだが、ひとつ共通している点がある。彼らの学年では、バレーボール部のキャプテンを務めた桐島という生徒が突然部活をやめ、学校に来なくなっており、この「桐島」に象徴される、一種の理想像、夢や目標といったものに対して、全員何らかの形で「あきらめ(きれなさ)」を抱えているのである。

 この5人のうち、風助という高校生の物語の結末部分には、当初彼が抱いている「あきらめ(きれなさ)」に対して、彼がそれとは別の形での「あきらめ」に到達することが描かれている。

 風助はふたりめの語り手として登場する視点人物で、バレーボール部に所属し、友人でもありキャプテンも務めていた桐島に対して、桐島にはかなわない、というあきらめを抱いている。彼の章では、桐島が突然部活をやめた後、代わりに風助がレギュラーメンバーに選ばれ、胸中で喜びを覚えると同時に、桐島へのうしろめたさや、結局自分はレギュラーになっても彼のようにはプレイできない、といった黒々とした感情を抱える姿が描かれる。

 他の学校との練習試合で、彼は自分は桐島には及ばないことを痛感するが、その最後の場面で、かつて試合中によく桐島がベンチにいた風助に助言を聞きにきていたことを思い起こす。彼は、ベンチにいた自分だからこそチームを見渡すことができたということ、桐島はそのような風助ならではの視点を必要としていたのだと気がつくのである。

 この風助の気づきは、桐島のようになろうとするのではなく、それまでのダメだと考えていた自分の意義を見直すという形で、彼自身が「桐島が戻ってくるまでは俺がボールを繋ごう」と試合に前向きに臨む結末につながっている。ぼくには、この点が「桐島」という理想をあきらめる形を取りながらも、最初の「あきらめ(きれなさ)」とは違う、前向きな意味合いを持つものと感じられた。