『ジョジョの奇妙な冒険』に
“都合のいい偶然”は起きない

「富豪村」における「山の神々」と露伴たちの行動は、伝承文学における「神から与えられる褒美」「神からの罰」、不条理な「運命」、「運・不運」のモティーフ(*)と関連がありそうです。トンプソンは、「運命」と「人生」について、このように解説しました。

(*)…編集部注:物語を構成する要素のうち、ストーリー(物語の内容)に影響を与える「記号的な意味」を持つものの総称

「人生において説明出来ないことがいかに多いか、価値のないものに過剰の報酬が与えられたり、人々が不当の苦労や災難に会うことがいかに多いかという面について昔話では運命の作用と説くのが普通である」(スティス・トンプソン、荒木博之・石原綏代訳『民間説話――世界の昔話とその分類』2013、135頁)。

 我々人間は「運と不運」に理由を求めようとする性質があります。突然の死、残酷な事件、思いもよらない災害などに巻き込まれると、そこに「神の意思」を想像して、なんとか自分を納得させようとします。

 あるいは、他人の過剰な幸運すらも「運命のいたずら」だと思おうとするのです。自分の願いや意思が「運命」に関与できないことを諦めるために、「神」の気まぐれを理由にしようとします。

 しかし『岸辺露伴は動かない』の作者である荒木飛呂彦は、人間が難局を打開するための物語に、救済の手段として「神様」を登場させてはならないといいます。強い意志と人間の「勇気」が何よりも大切なのだと語りかけます。

「何かの困難に遭ったとき、それを解決し、道を切り拓いていくのは人間の自らの力によるのであって、そこで急に神様が来て助けてくれたり、魔法の剣が突然落ちてきて、拾って戦ったら勝ってしまった、というような都合のいい偶然は、『ジョジョ』ではけっして起こりません」(荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』、221頁)。

「富豪村」では、物語の中で明らかに「神」の存在が感じられました。そして、神話的、伝説的な要素をふんだんに織り込んだストーリーでありながら、「山の神々」は人間を救ってはくれませんでした。褒美を得るためには果たさねばならない決まりがあり、少しのミスで生命すら脅かされるのです。

 登場人物たちは神がもたらす「苦難の運命」と戦うことを決意するのですが、「勇気」がもたらす心の変化こそが、荒木飛呂彦作品の面白さではないでしょうか。露伴は神々にすら負けません。人間の運命を切り拓くのは、いつも人間自身なのです。