富豪村が物語る
「マナーの戦い」の意味とは

「富豪村」では、人間が「幸運」の獲得を無邪気に試みる様子が描かれていました。人の感情を無視して、形式的に「死」という重い罰を人間に与える神の行動は、「正義の行使」といえるのでしょうか。

 露伴は神に一度は慈悲を懇願しますが、それが聞き入れられないと察知すると、すみやかに戦うことを選択します。悲惨な運命に足を止めることはありません。

 彼はいつも自分の心に問いかけて、みずからの意志で行為を決定します。「富豪村」という作品は「山への信仰」「神々による運命の転換」「神からの褒美と懲罰」といった古い民間伝承の話型や神話的モティーフを含む点を前提としつつも、現代を生きる登場人物たちの思考や性格が生き生きと描かれていました。

 その一方で、荒木飛呂彦は「富豪村」のテーマは「マナーの戦い」であるとも述べています。荒木自身がとある観光地で「自然への敬意」を欠いた別荘地の住人たちの話を聞いたことが、この作品誕生の契機になったそうです。

 作品の中では、マナー違反を許さない絶対的な存在として、神々が登場するわけですが、露伴は「死せる運命」という過剰な罰にこそ反抗するものの、この世にある理(ことわり)そのものに否定的ではありません。

 物語の中で、露伴は「山の神々」が下した「運命」から、担当編集者の女性を助けてやろうとはしますが、無作為に神々を攻撃するのではなく、「自然への敬意」を抱きながら、「山の神々」から課せられたルールの範囲の中で、神の怒りを解こうとしています。

 露伴は必要なルールや自然界の理には敬意をはらい、その上で意味をなさない慣習には従おうとしません。人間の意思と知恵を明示しながら、あらゆる行動に「人間の心」が必要なのだということをくり返し語ります。

 これこそが荒木飛呂彦が描く「新しい神話」のかたちであり、『ジョジョの奇妙な冒険』が内包する「人間讃歌」というテーマの体現なのです。

 一見すると破天荒に見える岸辺露伴ですが、彼は心の奥底に「正義」を持ち、自分が大切にしているもの(=マンガ)には正直で誠実です。岸辺露伴は実に「ジョジョらしい」キャラクターであり、彼はこれからも多くのファンを魅了し続けることでしょう。