「教授」と呼ばれる前の
坂本龍一のあだ名は「アブ」

『Year Book 1971―1979』のブックレットに、細野晴臣が「ぼくが知っている、坂本龍一の1970年代。若き“アブ”から“教授”への変身を追って」という談話を寄せている。

 記録によると大瀧詠一のスタジオでの録音の『ナイアガラ・トライアングルVol.1』(76)に入っている「FUSSA STRUT Part―1」が初めての共演だったらしいが、そのときの印象はなによりも当時の坂本くんの風貌だ。ぼさぼさの長髪で無精ヒゲの、まさに中央線沿線にいそうな感じ。

 初めてちゃんと彼の音楽面が印象に残ったのは、彼がアレンジを担当した大貫妙子のファースト・アルバム『グレイ・スカイズ』(76)にぼくが参加したときのこと。あの頃もうすでにニューヨーク的なフュージョンの要素があって、すごく際立ったアレンジだった。

 このアレンジはなかなかすごいなと感じて、それから彼の存在を意識しはじめた。中華街でのぼくのコンサートの演奏に参加してもらったのも、そのことがあったから。

 そして坂本くんのことをさらにすごいなと認識したのは、あんなむさ苦しい格好をしているにもかかわらず、彼が非常に女性から人気があったこと。こんなに汚いのにどこが魅力なんだろうと女の人に訊くと「眼がいい」と言う。そうか、ならばぼくもちょっと一目置いておこうと思った(笑)。みんなが“アブ”と呼んでいたので、ぼくもそう呼んでいた頃です。
(「ぼくが知っている、坂本龍一の1970年代。若き“アブ”から“教授”への変身を追って」)

“アブ”の由来については、吉村栄一『坂本龍一音楽の歴史』に次のように述べられている。「当時の坂本龍一の外見はむさくるしい長髪に、無精髭。煮染めたようなジーンズに冬でも素足にゴムサンダル」「水島新司の野球漫画『あぶさん』の主人公も(初期の頃は)同じくむさくるしいキャラクターで、いつのまにか坂本龍一のあだ名はアブになっていた」(酒の「アブサン」という説もある)。

 YMO以前、「教授」以前の彼は、風貌もまったく違っていたのだ。