もう一人、同じような驚きを感じたのが矢野顕子さんです。彼女の音楽を聴いたときも、高度な理論を知った上でああいう音楽をやっているんだろうと思ったのに、訊いてみると、やっぱり理論なんて全然知らない。

 つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました。(『音楽は自由にする』)

 坂本龍一が次々と出会った天才肌のミュージシャンたちは、彼に一種の天啓を与えた。自分が長い時間をかけて蓄積してきた、アカデミックな音楽教育に基づく理論や教養、音楽の創造と実践のための「言語=言葉」を、山下達郎や細野晴臣、矢野顕子が自身の「耳」を通して体験的に習得しているさまを目の当たりにして、彼はショックを受けた。

 彼らに比べたら自分は単なる秀才に過ぎない、そう思ったかもしれない。だが、だとしたらそれは間違っていた。坂本龍一は自分のことを「秀才」だと思い込んでいる「天才」だったのだ。だが彼が、ある種の学究肌というか、非常に好奇心旺盛で、音楽のみならず、何ごとかにひとたび関心を抱くと、それについて全てを知り何もかも理解しようとひたすら没頭するタイプであったことは確かである。