20世紀の終わりから2000年代初頭のシャープの液晶戦略は、模範的なコア・コンピタンス戦略の事例と言える。では、なぜその後、シャープの経営は傾き、鴻海の傘下に入り、さらに今回も堺の液晶パネル工場を閉じることになったのか。

 それは、コア・コンピタンスには賞味期限があり、コア・コンピタンスのメンテナンスが必要だったのに、その必要があるときにメンテナンスを怠ったことが、長くシャープの成長を阻害する要因となったと言える。

 コア・コンピタンスとは、効率よく開発投資を集中化して、ムダをなくす戦略である。一つの開発投資で何度も異なるイノベーションを起こそうというのがコア・コンピタンス戦略である。しかし効率化は、集中化のリスクを伴い、不確実性に弱くなる。一つのコア・コンピタンスが、社内外の新たなイノベーションによって形成された新たな能力によって陳腐化されてしまうと、そのコア・コンピタンスによる優位性は失われ、さらに同じコンピタンスによって差異化されていた全ての事業が優位性を失うことにもなる。

堺工場にとって重要だったのは
コア・コンピタンスのメンテナンス

 シャープの例で言えば、2007年に当時の片山幹雄社長が「液晶の次は液晶」と発言しているが、当時は台湾、韓国、そして中国などの液晶パネルメーカーが台頭し始めた頃であり、液晶はシャープの独壇場ではなくなっていた。

 2009年には大阪府堺市に世界初の10G(第10世代)の大型液晶パネル工場を建設したが、技術的に差異化されたパネルで自社テレビ製品優先に付加価値を増していくのか、あるいは他社でも使いやすい標準的な技術のパネルで大量に外販を行うのかの間で中途半端な戦略に終始ししたため、大量のパネルを持て余す結果となった。

 それが尾を引き、その後の新たな設備投資を行うことができなくなり、世界が10.5Gや11Gのパネル工場の操業に設備投資を行う中で、シャープの堺工場は中途半端に大きく、今日の大型テレビ市場にとっては中途半端に小さいパネル工場になってしまい、結果的にシャープのお荷物になってしまった。このことが、足もとの堺工場における液晶パネル生産停止のニュースに繋がる。