昔の京セラはブラック企業だった?

《人事(人材開発)担当者は従業員の心理的欲求(自律性・関係性・有能感)を満たすための職場戦略を設計するべきです。従業員の心理的欲求が満たされるような方法で対策を考えることで、組織は従業員が自分の仕事と自分自身がよりよく合うと感じられるようにすることができます。従業員は自分の仕事が楽しく、自分で選んだもので、自分自身にとって大切だと感じるようになります》

《そうすると、従業員はもっと時間とエネルギーを仕事に注ぎたいと思うようになります。その結果、従業員はより一生懸命に働き、決められた以上のパフォーマンスを発揮する可能性が高まります。これにより、組織も個人も仕事に対する情熱から得られるポジティブな効果を享受することができるでしょう》

 では、創業間もない頃の京セラの職場はどのようなものだったのだろうか。京セラを稲盛氏とともに創業した青山政次氏が著した『心の京セラ二十年』(非売品)の「仕事に生きがいを感じる」という項目には、以下のように綴られている。

《創立以来七、八年頃までは、京セラは厳しいと皆は言い、また他からも、京セラは厳しいそうですね、と言われていた。また実際他社と比較して、何かにつけて厳しいように見えた。しかしそれは、京セラではごく自然のことをやっていたに過ぎない。作業時間中は怠けず皆一生懸命働いた。退社時間だからといって、タイムレコーダーの前に列をなして定刻のくるのを待ってカードを押すというような風景はなかった》

《営業マンでも得意先へ行って遅くなり、定刻が過ぎているからといって、そのまま帰宅するようなことはせず、必ず会社へ帰ってきて報告し、事務を処理してから帰った。これも、稲盛が創立当初から、必ず一度は会社へ帰れと習慣づけてきたからである》

(「心の京セラ二十年」)

 これだけ読むと、京セラは従業員をルールで縛り付けるだけのただの厳しい会社である。研究論文が薦めるような「自律性」「有能性」「関係性」のかけらもない。本当に、これだけの会社であれば、従業員は誰もついてこないだろう。京セラはブラック企業でないかと訝しむ評論家がいたのも頷ける。

 しかし、この項目には続きがある。