田原祐子さん

65歳までの雇用確保措置(*1)が企業に義務化されているいま(2024年8月現在)、再雇用か勤務延長(定年退職せずに雇用される勤務)で、少なくとも65歳まで働き続ける人が増えている。そうしたなか、50代半ばで役職定年を迎え、仕事のモチベーションの低下とともに「失われていく10年(55~65歳)」に思い悩む人が多いようだ。雇用する側の企業にとっては、定年退職を控えたミドルシニア世代にどう向き合っていくかが喫緊の課題となる。これまでに、1500社以上・約13万人の人材を育成し、「コンサルタント・オブ・ザ・イヤー」(全能連マネジメント・アワード2023)を受賞した田原祐子さん(株式会社ベーシック 代表取締役/社会構想大学院大学教授)に、最新著書『55歳からのリアルな働き方』(*2)をもとに“企業とミドルシニアのこれからの在り方”を聞いた。(ダイヤモンド社 人材開発編集部、撮影/菅沢健治)

*1 高年齢者雇用安定法第9条第1項に基づき、定年を65歳未満に定めている事業主が、雇用する高年齢者の65歳までの安定した雇用を確保する措置。
*2 田原祐子著『55歳からのリアルな働き方』(2024年3月、かんき出版刊)。

*本稿では50歳から60歳までを「ミドルシニア」とする。

一人ひとりの強みにフォーカスし、可視化すること

 役職定年、定年退職後の雇用形態の変更……50代後半にさしかかるミドルシニアの働き方を考えるにあたり、まずは、企業が“人的資本経営”の意義を再確認するべきだと田原さんは語る。

田原 「人的資本経営」の本質は、企業が従業員一人ひとりの能力を活かすことです。しかし、多かれ少なかれ「人的資本経営」には、義務的に“仕方なく取り組んでいる”様子が見え隠れします。ご存じのとおり日本では、上場企業に対して、2023年3月から人的資本の開示が義務化され、7分野19項目における情報の開示が求められています。しかし、政府が出した指針を、企業側はその本質を深く理解せぬまま、開示のための開示に終始しているようにも感じます。人的資本に取り組むならば、まずは、ミドルシニアに限らず、自社の従業員一人ひとりの強みにフォーカスして、しっかり把握し、可視化することが大切です。“一人ひとりの強み”とは、従業員のキャリアと、それぞれが持つ「知識」「スキル」「コンピテンシー」です。私は、これらをまとめて、「経験知」と呼んでいます。経験知は、Business Wisdom(仕事の知恵)とも言われ、私が長年研究している「暗黙知」のひとつです。本来は、それらを集約したものが、人的資本として開示されるべきなのです。

田原祐子さん

田原祐子 Yuko TAHARA

株式会社ベーシック 代表取締役
社会構想大学院大学 教授

外資系人材派遣会社の教育トレーナー、コンサルティング会社の新規事業室長を経て、1998年に株式会社ベーシックを設立。上場企業から零細企業まで、1500社以上をコンサルティングし、延べ13万人の人材を育成。フレーム&ワークモジュール®という独自メソドロジーで、ナレッジマネジメントを活用した人材育成・営業変革・組織開発・業務革新・研究開発・特許開発・新規事業開発等を手掛けている。経済産業省・厚生労働省等の委員を歴任し、現在、日本ナレッジ・マネジメント学会理事、上場企業3社の社外取締役。『55歳からのリアルな働き方』(かんき出版/2024年3月刊)など、多数の著書がある。

 

 田原さんは、従業員一人ひとりのキャリアや「知識」「スキル」「コンピテンシー」が企業の知的資本となり、それが事業の拡大や組織の発展につながっていくと説く。

田原 いまは、人的資本ばかりに目が向けられていますが、2021年のコーポレートガバナンス・コードの改訂では、上場企業に対して、人的資本と同時に、知的財産への投資が求められています。人から知恵が生まれ、知恵から事業が生まれるわけですから、人的資本と知的財産・知的資本は、密接な繋がりがあります。

 しかし、個々人の経験知である「知識」「スキル」「コンピテンシー」は、往々にして暗黙知(*3)になっていて、ことさら、ミドルシニアの暗黙知は知的資本になり得ていないように見えるが……。

*3 田原さんの著書『55歳からのリアルな働き方』(かんき出版/2024年3月刊)では、「暗黙知とは、言語化するのが難しい、人や組織に内在する洞察・ノウハウ・叡智全般のこと」と定義している。田原さんが代表を務める株式会社ベーシックでは、暗黙知を見える化(=形式知化)し、企業全体に共有していくことによって、会社のバリューを創る事業活動を行っている。

田原 仕事の経験を長年積んだミドルシニアの暗黙知を形式知に変えることが、本人にとっても所属する組織にとっても、とても大切です。しかし、多くのミドルシニアと企業はそれができていません。形式知化のためには、経営層や人事部門が一人ひとりに向き合い、フォーカスしていくことが必要なのに、「55歳=役職定年」というように、ミドルシニアの存在を年齢軸で括る傾向があります。人的資本経営の実践において、暗黙知を持つミドルシニアに向き合っていくこと――つまり、彼ら一人ひとりの「知識」「スキル」「コンピテンシー」を把握することが重要なのです。この人はどういう「知識」を持っていて、実践的な「スキル」はどういったものか――ここで言う「知識」とは、単なる業界知識ではなく、その人が現場で実践し、成功や失敗を積み重ねた末、貴重な経験によって醸成された、深く進化した知識でありナレッジです。また、スキルとは、その仕事が実際に何度でも繰り返し「できる」ノウハウです。このスキルも、例えば資格を取得してもその仕事ができるようにならないのは、実践経験がないためです。まさに、経験によって「できる=スキル」になるわけです。「コンピテンシー」は、その人の行動特性や人間性のことを指します。これもとても重要な経験知のひとつであり、同じ仕事なら、「あの人に任せたい」と思われる、誠実さや真摯に仕事に臨む姿勢など、その人そのものの強みです。

田原祐子さん

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田原祐子さんインタビュー(「HRオンライン」2022年11月24日配信)
“暗黙知の形式知化”が、人材・組織・企業をぐんぐん育てて強くする

経験などによって蓄積された“言語化されていない知見やノウハウ”を「暗黙知」という。“職人技”のように、言葉での説明が難しいものもあるが、ビジネスシーンにおける「暗黙知」は、何らかの手段で「形式知」に変えられるものがほとんどだ。しかし、実際は、個人だけの“知”が職場にあふれ、それが時間とともに失われていくケースが多いのではないか? “暗黙知の形式知化”を20年以上前から研究し、独自に編み出したメソドロジーで組織開発・人材育成の支援を行う田原祐子さん(株式会社ベーシック 代表取締役)に話を聞いた。