花火と温泉がもたらすものとは?
壁画から伝わる山下清の思い
「辰巳館」は炭火山里料理を出してくれる。雪深い越後路に伝わる、高貴な方への献上物の残り物である「御裾分(おすそわけ)」に由来する田舎料理で、山菜や川魚を囲炉裏で焼いたもの。
「源泉せいろ蒸し」は、上牧温泉の源泉で肉や野菜を蒸した料理で、「辰巳館」名物の温泉粥と同じくやさしい味がする。
夕食を済ませてから大浴場に向かうと、壁画がライトアップされていた。昼とはまた表情が違って、壁画がしっとりとしていた。
私は、山下清とお風呂に入る空想をした。
明るい昼だと、山下清に胸やお尻をじろじろ見られそうだから、ほの暗い方がいい。
「ねえ、清さん、この湯はどう?」
「きれいだね」
「清さんは温泉と花火が好きだけど、私も同じだよ、気が合うね。ちなみに温泉と花火、どこがそんなに好きなの?」
「みんなが幸せになるところだね」
温泉と花火を愛した山下清との会話はいくらだって続きそうだ。
新潟県長岡市で生まれた私は長岡花火を見て育った。
好きが高じて、長岡花火の礎を築いた花火師・嘉瀬誠次の評伝『白菊-shiragiku-伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花』という本も書いた。
その取材中に嘉瀬さんから、山下清が花火の打ち上げ現場に現れ、「危険だからおっぱらった」というエピソードを聞いたことがある。
そんな嘉瀬さんの言葉がある。

山崎まゆみ 著
「花火てのはな、みんなぽかんと口を開けて無になれるだろう。それがいいんだ」
温泉もそうだ。
ぽかんと口を開けて、頭を空っぽにできる。
無垢になれる。
実は、温泉と花火がもたらすものは同じではないか。曇りのない澄んだ眼差しで、嘘のない表現をし続けた山下清がこの2つを好んだということが、その証ではないか。
大正11(1922)年3月10日~昭和46(1971)年7月12日