ウチの大浴場を改装するなら
山下清に描いてもらうしかない!

 そしてその絵を特殊ガラスで再現し、浴場の壁画にしたものが、いまも「辰巳館」の大浴場にある。

 外から光が入る日中の大浴場では、お湯がキラキラと反射した。

 谷川山系の上牧温泉のナトリウム・カルシウム――硫酸塩泉・塩化物泉は無色透明で艶やかなお湯だ。外からの光でお湯は輝き、お湯に壁画が映り込む。

 湯けむり越しに壁画を眺めると、山下清への想いが膨らんだ。

 大浴場の入り口には山下清が入浴している写真が掲示してあるから、なんだか一緒にお風呂に入っているような気分になってくる。

 山下清の作品が大浴場の壁画になるなんて、どのような経緯があったのだろう――。

 10年以上前になるが、当時「辰巳館」会長だった深津禮二(れいじ)さんに事情を聞いたことがある。

「昭和30年代半ばのことです。私はまだ30歳を過ぎたばかりで、旅館経営に情熱を燃やしていました」と深津さんは振り返った。

 温泉旅館の顔はやはり大浴場。旅館にとって最も存在感があり、お客を癒やせるのもお風呂なのだ。

 深津さんは、旅館経営の情熱をまずは大浴場の改装に注ごうと、建築雑誌を読み漁った。

「高名な建築家に設計を依頼しましたが、建築家の先生は『前衛的なデザインがいいだろう』とおっしゃるんです。しかし私は、お風呂は誰もが親しみを持てるものでなければと思いました」

 そして深津さんは「山下清画伯しかない!」という考えに至った。

 昭和30年代になると、山下清は圧倒的な注目を浴びていた。

 それまで幾度も放浪生活を送っていた山下清だが、昭和28(1953)年にアメリカのグラフ誌『ライフ』がその才を取り上げたことがきっかけで、「日本のゴッホ」と評される。

 翌年には「東京タイムズ」に連載された山下清の放浪日記が話題となり、昭和31(1956)年には東京・大丸百貨店で「山下清展」が開催され、1カ月で80万人が来場する大盛況ぶりを見せた。

 昭和33(1958)年には東宝映画「裸の大将」が公開され人気を博し、スターの存在感を見せていた。