山下清Photo:JIJI

日本各地を放浪し“裸の大将”の愛称で親しまれた天才画家・山下清。彼は大の温泉好きで、ひょんな巡り合わせから人生で一度だけ、温泉のために壁画を制作したことがあるという。群馬県上牧温泉「辰巳館」に今なお残る山下作品を訪ね、彼が見つめた風景に思いを馳せる。本稿は、山崎まゆみ『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)の一部を抜粋・編集したものです。

混浴風呂で画力を磨いた山下清
無類の温泉好きが宿に贈った唯一のはり絵

「どん、ひゅ~~、ばぁ~ん」

 花火の音が聞こえる季節になった。

 日本一の大花火と誉れ高い長岡花火に感嘆し、「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな」と、大作「長岡の花火」を制作した天才画家・山下清。

 最期の言葉も「今年の花火見物はどこへ行こうかな」だった。

 坊主頭に大きなリュックを背負って日本各地を放浪する山下清の姿は「裸の大将」と呼ばれ親しまれた。

 花火好きとして周知されている山下清だが、随筆集『日本ぶらりぶらり』を読めば、実は花火以上に温泉も好きだったことがわかる。

「ぼくは30になるまで温泉というものを知りませんでしたが、知ったら大変すきになってどこへいっても入ります」

 放浪中は駅員に「温泉はありませんか?」と尋ねては温泉を訪ねた。

 島根県玉造温泉では温泉プールで泳ぎ、山形県天童温泉では将棋の駒の形の風呂に驚き、愛媛県道後温泉本館から町並みをスケッチした。

 群馬県伊香保温泉や草津温泉の大きな露天風呂が気に入り、度々入りに行っている。

 伊香保名物の赤茶けた「黄金の湯」を「温泉の色は茶色で土でよごれたような色をしている」とユーモラスに語る様は、温泉を専門とする私も脱帽だ。

 戦後、2年余に及ぶ全国放浪を始めたのは昭和26(1951)年、山下清29歳の頃。当時、温泉といえば混浴風呂が日常の風景だった。そうした混浴体験は山下清に影響を及ぼした。

「女のお尻のよくみえるのも温泉ですが、ぼくの絵はこのごろやっと色気がでてきたといわれますが、それは日本中の温泉で女の人の乳やお尻をたくさんみたからでしょうか」

 温泉で画力が磨かれたのか――。

 無類の温泉好きの山下清が、一度だけ、温泉のためにはり絵を作成したことがある。

 それは群馬県利根郡みなかみ町に湧く、水上温泉郷上牧温泉「辰巳館」へ贈った作品だ。