「悪いことをした子」をみんなで批判…令和のSNSを見て想起した、昭和の小学校の「悪名高い集会」とはPhoto:PIXTA

小学校で毎日行われていた
終わらない「終わりの会」

 大昔のことだが、私の小学生時代、「終わりの会」(帰りの会)というのが毎日行われていた。会社で言う、終礼のようなものである。その日の出来事や問題点をクラス全員で振り返る(ということになっている)時間であり、教師が主導して進行するものだった。

 とはいえ、そこで話される内容は、クラス全体にとって重要な話ではなく、個人の問題行為、例えば「授業中の私語をやめてください」とか、「掃除をサボらないでください」などの個人への注意喚起が中心だった。わんぱくな生徒などには批判が集中し、つるし上げの状況になることもあった。

 いつも予定時間を大幅に超え、私の記憶には“終わらない終わりの会”として残っている。

 終わりの会には、特に教師側にメリットがあったのだろう。教師とクラスメイトが注目する中、問題行為をした生徒に反省の弁を述べさせることで、問題行動への抑止効果があったと思われる。また、日々の小さな問題をその日のうちに解決することで、クラス全体の雰囲気や団結力を高める役割も果たしていたのではないだろうか。

 しかし、デメリットも無視できなかった。例えば、その問題に直接関係のない生徒たちを巻き込んで延々と時間が費やされるのだ。私は早く少年野球の練習に行きたかったのに、その時間が削られてしまうことにいつも納得がいかなかった。

「一人のクラスメイトの問題はクラス全体の問題」という考え方は分からなくもなかったが、やはり「その子とその子の問題なので、当人同士で直接話すか、それが無理なら先生と3人で話せばよいのでは」と思っていた。

 なぜ教師たちはこの終わりの会をやり続けていたのだろうか。

 おそらく、クラス全体の統制を図り、個々の生徒の行動を改善するためだったのだろう。日々の振り返りを通じて、生徒たちに自分の行動を見つめ直す機会を与えることで、長期的な教育効果を期待していたともいえる。しかし、本当のところは、生徒の不満のガス抜きではなかったのか、と考えている。