源頼朝、織田信長も……
権力者は意外と泣き虫?

 1012年、大嘗会(天皇が即位後、最初に皇祖および神々に新穀を供え、これを食べる儀式)に際してのみそぎの時には、道長は随身(お供)2人と馬副(馬に乗った従者)、帯刀(護衛担当の舎人、下級官人)10人を率いて、参加しました。これについて娘の彰子が「これは、先公(道長の父・藤原兼家のこと)の時の例と同じですね」と語ると、道長は泣き出しました。「馬副を見るたびに、涙を抑えることができなかった」というのです。昔のことを思い出したのでしょうか。

 また、時は過ぎ、1022年、完成した法成寺(平安中期、京都に道長が建立した寺)に後一条天皇の行幸(天皇が出かけること)があった時も、道長は感激して泣いています。

 歴史を振り返ってみると、権力者が泣いた場面はさまざまな書物で伝えられています。源頼朝も、石橋山合戦(1180年)で亡くなった将兵のことを思い泣いていますし、織田信長も若き頃、戦死した将兵を見て、号泣しています。

 普段は威厳があり怖い指導者が、ホロリと泣くと、そのギャップにやられてしまう家臣もいたのかもしれません。ただ、号泣するなど、感情の起伏が激しいということは、泣くだけでなく、よく怒るということでもあります。