【光る君へ】藤原道長が恩人に激ギレ!喜怒哀楽が激しすぎる絶対的権力者の素顔藤原道長が建立した法成寺跡 Photo:PIXTA

大河ドラマ『光る君へ』で主要人物として登場する藤原道長。平安時代、栄華を極めた道長は、どんな人物だったのでしょうか。歴史書からは、喜怒哀楽の激しいキャラクターであったことが伝わってきます。絶対的な権力を持った道長ですが、意外なことに「よく泣く」人物だったとか。エピソードとともに道長の人物像をひもといてみましょう。(歴史学者 濱田浩一郎)

藤原道長はどんな人だった?
絶対的権力者の意外な一面

 歴史上の偉人の中には、喜怒哀楽の激しい人がいたという話をよく聞きます。実は、大河ドラマ『光る君へ』で話題の藤原道長もその一人です。

 例えば、『光る君へ』でも描かれた娘・彰子の入内に関しては、こんなエピソードがあります。

 道長は彰子の立后(きさきの位につくこと)を、公卿であり、書家として著名な藤原行成を介して、一条天皇に依頼していました(999年)。念願だった彰子の立后がかなった道長は、行成に対し、次のような感謝の言葉を述べています(ちなみに、その時、道長は病気がちでした)。

「蔵人頭に任命されて以後、折に触れて、あなたの心遣いが深いことは分かっていたが、よくその悦びを伝えることはできなかった。

 今、この時になっていよいよ、あなたの厚恩を知った。あなた一身のことについては、何も心配することはありません。私には、数人の子がいる。あなたにも数人の子がいよう。天命あらば、必ずこの恩に報いることとしよう。わが子に、あなたの子とは兄弟のように思い合うようにと言い含めることとしよう」
※995年、行成は蔵人頭となった

 自分の世代のみならず、子孫の代までの親交を口にする道長。彰子の立后が権力掌握につながるとの認識があったであろう道長は、行成の働きがよほどうれしかったのでしょう。湧き出てくる感謝の思いをそのまま表現したもののように思われます。

 道長の日記『御堂関白記』などを見ても、道長は感情表現がかなりストレートであったことが分かります。例えば、よく泣きます。