高校受験でも、母は家庭教師をつけ、夜中までの勉強、最後は学校を休ませても受験勉強をさせたが、そのときの受験勉強は、自分が留学する学校に入るためだったから、教育虐待だとは思わなかった。そして、母親も納得する高校に受かり留学の夢も実現した。

 そのとき、自分で決めること、目標があることがどれほど価値を持つのかを知った。でも、母親の望む高校に受かったにも関わらず、母娘の関係は良好とは言えなかった。関係が改善しなかったのは3歳上の兄の存在が大きかった。

「家を出たい」娘の訴えに
“ダメ親”すぎる父親の返答

「3歳年上の兄は、親に隠れて何かと私に暴力を振うタイプで、子どもの頃から長い間、殴る蹴るといったひどい暴力を受けていました。その当時は、インターネットもスマホもありませんでしたから、逃げ場を探すことも見つけることもできず、ただひたすら耐えるしかありませんでした」

「とにかく近所の人や親戚の集まる機会の多い家でした。子どもだけで遊び始めると、私は必ず兄に泣かされて大人のいるところに一人で泣きながら戻ってくるのです。でも、それを見ても、宴会中の大人たちからはただの兄妹ゲンカだと思われ、誰も私のフォローはしませんでした」

「それよりも辛いのは、その場にいた周りの子どもたちが、兄を止めてはくれなかったことです。大学を卒業する頃に、兄との出来事を母に伝えても、『そんなことをいまだに言われる兄が可哀想だ』と言って、兄の側に立った。母は兄を溺愛していて、兄が言っていることが正しくて私の訴えは『被害妄想が強すぎる』と、とりあってくれませんでした」