「勝手に引っ越しやがってこのクソが」ストーキング毒親が送りつけてきた「トラック1台分の荷物」の中身に震撼する写真はイメージです Photo:PIXTA

成人して親元を離れてからも親の過干渉、支配、押し付け、言葉の暴力など「毒親」の行為に悩まされる子どもは多い。父親からの虐待に苦しんだ当事者が、公的制度を利用しながら「親を捨てた」経験から、マニュアル本を昨年10月に出版した。『毒親絶縁の手引き DV・虐待・ストーカーから逃れて生きるための制度と法律』(紅龍堂書店)を匿名で出版した著者に、父親から受けた行為が「虐待」と気づき、公的制度を利用して親と絶縁するまでを聞いた。(取材・文/村田くみ)

この記事にはDV・虐待に関する記述・表現が含まれています。

「この人間のクズ」「母親を殺した」
壁一面に赤字の殴り書き

「親を捨てたいと思うなんて、自分は冷たい人間なのか」と、Yさんは長い年月悩み抜いた。

 そして、たどりついた答えは、「人生を阻害する人物との縁を断ち切って生きる」ことだった。最初、親との関係に「しんどい」と思い続けていたとしても、はたして「自分の親は毒親なのか?」と、親の加害に気づくまで時間がかかった。専門家に相談するまでに、失われた時間はとても大きい。

「母が持病で急逝してから、父との生活が始まったのですが、家にはほとんど帰らず、その間食事を作ってもらったことは一度もなく、家事は全部私がやりました。家に入れてくれるお金も食べる物も全然足りなくて、いつもギリギリの生活を送っていました」

「たまに父は家に帰ってくると人をけなすような言葉を言う。朝起きると壁一面に『この人間のクズ』『母親を殺した』『出ていけ』などと、コピー用紙に書かれた赤字のなぐり書きがたくさん貼ってあったのです」(Yさん)

 父親は元々、物心ついたときには別居して、家には月に1、2回戻る程度だった。母親は家計を支え、仕事や家事、子育てを一人で背負っていた。

 疲れ果てて土日に居間のソファで横たわっていると、それを見た父は母を労うどころか「生活リズムがなっていない」などと嫌味を言っていた。

 Yさんは子ども心に、「すべてを母に押し付けて何を言っているんだ」と思っていたが、父と親子らしい会話はほとんどなかったので、父の本性を知るよしもなかった。

ストーカー毒親が送りつけた
「トラック1台分の荷物」の中身

 ところが、母親が亡くなり父親と一緒に暮らすようになって、少しずつ父親の異常性を感じるようになった。

「例えば、風邪をひいた時など体調が悪くて病院に行きたくても、保険証を隠されて行かせてもらえませんでした。父の留守中に保険証をタンスの引き出しの中から探して病院に行ったこともありましたが、後日、自治体から医療費の明細書が届くと、私が病院に行ったことがバレてしまいます」

「普通だったら子どもの体調を心配すると思うのですが、『(お金がかかるから)扶養から早く抜けろ』と、そこでも冷たい言葉をかけられました。父から気持ちが離れていき、『こんな親と一緒にいるのは嫌だ』と思い始め、映像系制作会社への就職を機に一人暮らしを始めました」

 ところが、父親の異常な行動はYさんが一人暮らしをしてからエスカレートした。Yさんがフリーランスとして独立するため職場に退職届を提出すると、どこで知ったのか「あいつを辞めさせるな」と会社に電話がかかってくるようになった。

 父親に連絡をしないで引っ越しをしたら、いつのまにか住所を探し出して、新居を撮影した写真がポストに投函されていた。そこには父親が訪れた日付と「勝手に引っ越しやがってこのクソが」の文字が書かれていた。