あいまいさを良しとするやり方は限界にきている
――そう知ると、言語化できていないことによって生まれているムダの凄さみたいなものを感じて、ちょっと怖くもなりますね。
木暮:僕は以前、サイバーエージェントというインターネット広告の会社にいたのですが、ネット広告というのは、どれが何回クリックされて、そこから何がどのくらいの比率で買われたかなど、全部数値が取れるんです。だから明確な改善もできるんですね。だけど数値化ができなかったら、何となく改善していくしかないじゃないですか。「たぶん、進べきはこっちかもしれない」などと。よくいえばセンス、悪く言えば「単なる勘」です。
それゆえテレビCMは、「これぐらい見られています」、「効果があったんじゃないでしょうか」みたいな感じになってしまっているのが実情で。「私たちがやっていることは正しいんだ」と確信を持って言えるかというと、おそらくそういう方は少ないのではないかと思います。なぜなら明確になっていないから。
――結果、効果のない広告を出し続けてしまうこともあるわけですね。まさに、費用的にも労力的にも膨大なムダですよね。
木暮:日本人の特性と言いますか、「それって具体的にどういうことですか?」などと聞くと、問い詰めている感じが出て“怖い人”みたいになってしまう。それゆえ明確化を避けてきたというか、あいまいさを良しとして逃げてきた、ということもあるんじゃないかと思います。でももうそのやり方は、限界の時代が来ているんじゃないでしょうか。