字だけで要件を伝えると、相手が「冷たく」感じてしまうという問題がある。そこで、柔らかいニュアンスを伝えるために「(笑)」という表現が生まれたわけだが、この表現が「w」「草生える」ときて、現在は「おハーブが生えますわ」というところまで進化している。今なお変異と増殖を続ける「笑いの表現」に着目する。本稿は、川添愛『言語学バーリ・トゥード Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)の一部を抜粋・編集したものです。
書き手本人の“筆跡”に宿る
情報量は侮れない
つい忘れそうになるが、Eメールやインターネットが出てくる前の時代、コミュニケーションの主流は対面か電話で、文字によるやりとりは今よりマイナーだったはずだ。電話でのコミュニケーションですら、携帯電話がなかった時代は今よりはるかに比重が小さかったと思う。
島本和彦が自身の芸大生時代を描いた傑作漫画『アオイホノオ』(小学館)を読んでいると、1980年当時の大学生が別の学生に何かを伝えたいとき、相手がいそうなところに当たりをつけて走り回り、会えればOK、会えなければ諦めるという描写があって驚く。同作の中には、下宿の電話が共用であるため、誰かが長電話していれば自分の電話がかけられないし、受けられないという場面もある。
こんなふうに、スマホもねえ、ネットもねえ、毎日ダイヤルぐ~るぐるの時代における文字のコミュニケーションと言えば、主に「手書きの手紙」だろう。ただし手書きであること、つまり書き手本人の筆跡が見えることは、音声だとか書き手の表情なんかの欠落を大いに補うように思う。
実際、手書き文字の伝える情報量は侮れない。相田みつをの詩だって、あの文字で語られるからこそ読む人の心に強烈に響くのだと思う。
手書きではない文字の持つ
「淡白さ」と「冷たさ」
逆に、手書きではない文字の淡泊さと冷たさは半端ないし、文字の背後にある怒りとか苛立ちを必要以上に感じさせることがある。藤子不二雄A先生の名作『まんが道』に描かれた「原稿大量落とし事件」では、文字のメッセージの怖さがいやというほど味わえる。