最初、『傷だらけの天使』は、好きなようにやっていい、という前提で始まりました。日本テレビに回されたワクは土曜夜の10時台で、何をやってもいい、視聴率が取れなくても構わない、と言われています。(萩原健一『ショーケン』講談社、2008年)

 岡田は土曜夜10時の新企画立ち上げを、後輩プロデューサーの清水欣也に託した。

 清水は1938(昭和13)年生まれ。1961(昭和36)年に愛媛大学を卒業し、同年日本テレビに入社した。青春ドラマ『セブンティーン―17才―』(69年)や、アクションドラマ『ゴールドアイ』(70年)などをプロデュースしたほか、『太陽にほえろ!』にも第1話「マカロニ刑事登場!」から参加している。

「清水欣也さんはすごい方でね、日テレのプロデューサーの中では異端児ですよね。地味だったり平凡だったり当たり前だったりが大嫌いな人で。ある日無名時代の忌野清志郎の歌を聴いてしびれたと、素晴らしかったということをね、局内の人たちに言うんですけど、みんな知らないですよね」(工藤英博※編集部注:元「傷だらけの天使」プロデューサー)

血と暴力を、ファンタジーにまで昇華
ショーケンのイメージを変える企み

 テレビには似つかわしくない独特の感性を持ち、戦前戦中に人気を博したコメディアン・清水金一のニックネームに倣って「シミキン」というあだ名のある清水プロデューサーが新企画として最初に提案したのは、ゴリゴリのアクションドラマだった。

 清水Pから出た企画の第一案は「大藪春彦」ものだった。

 企画意図の大半が大藪前期の短篇「恥知らずの町」の解説に費されているという型破りの企画書で、血と暴力を、ファンタジーにまで昇華させたいという意図が強調されていた。

「マシンガンをぶっ放すショーケンのイメージを、ハードボイルドを越えた、艶歌アクションとしてとらえようということなのだ」

 と、彼(清水)は、小関三平の「文化批判の社会学」まで持ち出して力説した。(『シナリオ』1974年12月号の市川森一「傷だらけの天使裏話」)