実験的な企画ゆえに
低かった制作費

 企画が固まると今度は予算の問題である。何をやってもいいという実験的な企画が許されたものの、その分だけ予算的には厳しい現実が突きつけられた。

 要するに、『傷だらけの天使』はまったく期待されてなかった。だから、予算も少なかった。あの時代、1時間ドラマの制作費は1本に付き1300万円が相場だった。そういうご時世にあって、『傷だらけの天使』は1000万円にも届いていなかったんだから。(前掲『ショーケン』)

書影『永遠なる「傷だらけの天使」』(集英社新書)<『永遠なる「傷だらけの天使」』(集英社新書)
山本俊輔、佐藤洋笑 著

 予算管理を任された磯野理は1939(昭和14)年生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、東宝に入社。編集部、演出部を経てプロデューサーに転身。系列会社の東宝企画で、子供向け特撮ショートドラマ『クレクレタコラ』(73~74年)などを手掛けていた。

 1本1200万円の製作費の内、220万円は萩原健一のギャラとプロダクションマネージメント料で、私には980万円で完成させる責任がある。1時間テレビドラマの製作費としては最低だ。しかも、東宝本社テレビ部と下請け会社の国際放映の利益分がカットされる。格安の製作費であるのに監督、撮影、照明、録音のメインスタッフ以外は、下請け会社のスタッフを使わなければならないので、手足をもぎ取られた状態のプロデュースであった。押し付けられたスタッフでは、意思の疎通を図り難い状態だ。(前掲『東宝見聞録』)

 この低予算問題は、制作途中に大きな問題を引き起こし、後に『傷だらけの天使』の作風や路線にも多大な影響をもたらすことになる。