甘くてほんのり苦いマーマレードは、イギリスでは貴族も資本家も労働者も好んで食するジャムだ。しかし、マーマレードとイギリスの関係性を紐解いていくと、そこには産業革命、人種差別、階級意識に翻弄されたイギリスのほろ苦い側面が見えてくるのだという。※本稿は、コモナーズ・キッチン『舌の上の階級闘争「イギリス」を料理する』(リトル・モア)の一部を抜粋・編集したものです。
あなたはどれを塗る?
マーマレードが明らかにする階級意識とは
朝食のトーストにどのマーマレードを塗っているか見てごらん。色の濃い、厚切りオレンジの果肉が入っているオクスフォードかダンディーのマーマレードなら上流階級、下層階級なら色が薄く果肉感のない、たとえば「(ロバートソン社の)ゴードン・シュレッド」のようなものを選ぶはずさ。(「デイリー・メイル」紙、2014年4月19日)
10年前の「デイリー・メイル」紙の記事にこうある。自分がどんな階級に属しているか、誰がどんな階級に属しているか、もはや自覚することすら困難なこの階級意識を、丁寧にも明らかにしてくれる食材としてマーマレードが選ばれているのだ。
ここで言われているマーマレードとは、「セヴィルオレンジ」(ビターオレンジとも呼ばれる)を使ったマーマレードである。1874年にオクスフォードに住んでいたサラ・ジェーン・クーパーなるご婦人が、果肉は苦いが皮の香りがよいセヴィルオレンジを使ってマーマレードを作り、売り出したところ大変評判になり、という物語ができて以来、イギリスでマーマレードといえば「セヴィルオレンジのマーマレード」と相場が決まっているからだ。
オクスフォードマーマレードのたぐいはイギリス以外では見たためしがないと、ジョージ・オーウェルも書いている(『一杯のおいしい紅茶』小野寺健編訳、中公文庫、2020年)。
なぜクマのパディントンは
マーマレードの瓶を持っていたのか?
しかし、わたしたちは知っている。マーマレードは何もイギリスの専有物でもなければ、人間の専有物でもないことを。「暗黒地」ペルーからやってきたクマのパディントンは、ルーシーおばさんが作って持たせてくれたマーマレードの瓶をトランクに忍ばせて、パディントン駅にたどり着いたからだ。
2017年に世を去ったマイケル・ボンドが創作したこのトラブルメーカーのクマは、なぜマーマレードを持っていたのだろうか。もはや誰もそんなことを気に留めやしない。気に留めないどころかこのクマは、在位70年を迎えた女王陛下とマーマレードサンドウィッチの楽しみを共有できるまでになった(編集部注/2022年6月、エリザベス女王の即位70周年を祝う祝賀コンサートのオープニング動画でエリザベス女王とくまのパディントンが共演した)。
一方で種を超えたアイテムとなり、他方でいまだに階級を示す象徴としても考えられるマーマレード。オレンジを果肉や皮ごとジュースとともに砂糖で煮詰めたこの食べ物の、何がそんなに特別なのだろうか。