マーマレードの甘さに潜む
大英帝国の“えげつない裏側”とは?
ミンツによれば、1870年頃から安価なフルーツのジャム(主にベリー類やプラム類)と労働者階級の食卓は切っても切り離せないものになった。貧しい労働者家庭がやりくりする中で砂糖を存分に使ったジャムは食卓を華やかにするものとなり、「パンとジャムの取り合わせは3回に2回は必ず食べられるようになった」という。
1927年、ビスケットメーカーのマクビティ社が、マーマレードをスポンジ生地に重ねてチョコレートでコーティングした「ジャッファケーキ(JaffaCake)」なるお菓子を売り出した。
今ではレモンやイチゴ、黒スグリやパイナップル、さくらんぼやパッションフルーツなどのジャムを使ったバリエーションもあるが、やはり「ジャッファケーキ」の基本はオレンジマーマレードである。商品名になっている「ジャッファ(アラビア語ではヤッファ)」とは、テルアビブ南方の港町ヤッファを中心とした地方のことで、その地域産のオレンジの銘柄でもある。
1927年にイギリスで開発された商品の主要な原材料がパレスチナ産であるということは、砂糖の歴史に勝るとも劣らない、大英帝国のえげつない歴史を表してもいる。
もともとヤッファでは、パレスチナ人によって小規模でのオレンジ栽培が行われていた。ところが第一次世界大戦後にパレスチナがイギリスの委任統治領(実質的な植民地)になると、離散したユダヤ人はパレスチナへ戻るべきだと考えるシオニズムを信奉するユダヤ人の企業家による投資が盛んになり、オレンジ栽培は産業化された大規模な形態へと移行していった。そこでの労働は多数のパレスチナ人労働者と、新たに入植し次第に数を増してゆくユダヤ人たちが担った。
大量生産されるビスケットには大量生産されたオレンジマーマレードが必要。とはいえ、分断したまま併存させて統治する、帝国主義のお手本のような舞台装置のもとで作られたオレンジのマーマレードを使った安いお菓子を、宗主国の労働者階級がお茶のお供として重宝がるという風景をどのように考えればいいのだろうか。