いや、特別ではない。特別ではないということが重要なのだ。冒頭の新聞の引用を思い出してほしい。マーマレードのどの種類を選ぶのかによって階級がわかると言っているのであって、上流階級も下層階級もマーマレードを食べていることに変わりはない。誰でも食べるのである。イギリス人みんなが食べる、マーマレード。貴族も資本家も労働者も、イギリス人であればみんな食べる。
だからこそ、女王はハンドバッグの中にマーマレードサンドウィッチを忍ばせておいたのだ。「私もまた、あなた方イギリス国民と一緒でマーマレードが好きなんですよ」とでも言うように。
いつからマーマレードが爆発的に
イギリス人に普及したのか?
では、いったいいつからイギリス人ならばマーマレードを食べる、ということになったのだろうか。カリブ海域を専門とする人類学者のシドニー・W・ミンツは、砂糖と帝国主義の歴史を語らせれば右に出るものがない碩学だが、マーマレードに関する彼の説明はなるほどと納得させられるものではあれ、そこに驚くべき発見があるわけではない(『甘さと権力―砂糖が語る近代史』川北稔他訳、ちくま学芸文庫、2021年)。
19世紀を通じて「砂糖」の価格が徐々に低下して庶民の手の届く食材となったこと。これがマーマレードを始めとしたジャム類が普及した最大の理由とされる。
砂糖が安く手に入るようになったことは、2つの大きな世界史的出来事がもたらした結果だった。
1つは、もちろん植民地主義である。もとは奴隷によって行われたプランテーションでのサトウキビ栽培が大規模化し、生産量と加工技術が大きく飛躍した。
2つめは、この植民地からの経済収奪をよりスムースに行うために19世紀を通じて取り組まれた自由貿易政策である。穀物法と航海法を廃止して多くの物品の関税を大幅に引き下げ、もしくは撤廃しながら、他方では長年大英帝国のエンジンとして君臨してきた東インド会社を解体し、植民地貿易の自由競争を促した。こうして砂糖は生産量も上がったり、関税を下げられたから価格も下がったり、庶民の手に届くようになる。
1860年の英仏通商条約を皮切りに西ヨーロッパでの自由貿易政策が加速すると、スペインから輸入されるオレンジの流通量も格段に多くなった。近郊で採れるベリーよりも、「エキゾチック」なオレンジで作られるマーマレードを。
こうして19世紀後半には消費量が増え、マーマレードやジャムを作る工場が多く建設され、各社が競って商品開発を始めていった。
かのクーパーさんも、この流れに乗ったわけである。