長寿ゆえに、親しい人を見送り寂しい思いをもした。とうとう長寿にそれなりの老いの苦しみがあると思い、寿命の長短に意味を感じなくなっていたようだ。だから玄白は「百ゐても 同じ浮き世に 同じ花 月はまんまる 雪は真白」という当世の狂歌(きょうか)に納得していた。

長寿で9つの幸せを手に入れる

 とはいえ、長寿でありながら日に10キロは歩ける玄白を知る多くの人は、かれを「幸(さち)に幸を重ねる人」と、褒(ほ)めたたえた。玄白は自分の幸を数えると9つになる言い、古希の頃から「九幸翁(きゅうこうおう)」の号を使っていた。「9つの幸せ」とは次の9項目である。

○泰平(たいへい)に生まれ、
○都下(とか)に長じ、
○貴賤(きせん)と交わり、
○長寿を保ち、
○禄(ろく)を食(は)み、
○いまだ全く貧(ひん)ならず、
○四海(しかい)に名あり、
○子孫多く、
○老いて益(ます)ます壮(そう)なり

 泰平の江戸で生まれ育ったことは歴史的には恵まれているが、同時代の江戸市民には共通する事である。様々な身分の友人を貴賤問わずに付き合えたのは玄白の真面目な人柄に拠(よ)るものであろう。禄を食み、貧ならず、四海に名があるのは、勤勉に仕事に励んだ結果で、長寿と壮は多病でありながら摂生と養生に努めた成果だろう。

 子孫はいるが、先妻との長男を亡くしており、跡継ぎは娘婿(むすめむこ)に選んだ弟子・杉田伯元(はくげん)であった。後妻との間には杉田立卿(りゅうけい)という息子もいた。しかし玄白から見たかれの医師としての天分が不十分であったため、自分の跡を継がせずに眼科の別家(べっけ)を立てさせた。玄白はそれらのことも含めて子孫にも恵まれたと思える人物だったのである。

 かれの人生を現代的にいえば、都会で生まれ育ち、勤勉に労働に励んで高学歴の高収入、健康オタクで多趣味といえようか。多病でありながらバイタリティ溢(あふ)れる生き方をした玄白は、精神面でも健康であったと評価できる。