徳川家康像,徳川家康徳川家康像 Photo:PIXTA

 歴史に名を残すような業績を上げ、長生きした人物は、どんな生活を送っていたのだろうか。社会は今よりも不安定で、医療の水準も低かった。そんな“ご長寿歴史人”の健康の秘訣(ひけつ)を、歴史に造詣の深い医師らに探ってもらった。

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北条早雲の肖像画北条早雲の肖像画(小田原城公式ホームページから転載)

 歴史の表舞台に出たのは、還暦を過ぎてから――。日本大学医学部の早川智・主任教授は、戦乱の世を88歳まで生き抜いたとされる北条早雲に注目する(※北条早雲の生まれ年はほかに1456年とする見方があるなど諸説ある)。

 早雲は小田原城を拠点に、5代にわたって関東一円を支配した戦国大名、北条氏(後北条氏とも言う)の開祖だ。表舞台に登場するタイミングは遅かったが亡くなるまで勢力を伸ばし続け、100年にわたる北条氏の基盤を築く。

 もともとは備中伊勢氏の出身で、室町幕府に仕えていた。遅くとも1487年以降は駿河の大名今川氏に仕え、93年には、当時、伊豆を支配していた堀越公方・足利氏を追い出すことに成功する。60代にして成り上がり伊豆一国を治める戦国大名となった。その後、95年には伊豆韮山から相模小田原へ進出、大森氏から小田原城を奪った。1513年には、自ら陣頭指揮して相模の名門・三浦一族を破り、古都鎌倉を含む相模一国の支配権を確立している。

 早川教授は言う。