![「近づかないほうがいい…」吉原の遊女に嫌われた客に共通する特徴とは?](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/f/9/650/img_f969987922acfd45a9355eb3e12c5ea2218820.jpg)
江戸時代に繁栄した吉原遊廓。連日さまざまな客を相手にする遊女たちには、好ましい客もいれば、反対にできれば相手をしたくない客もいるという。遊女に嫌われた客たちの特徴について、吉原遊廓の遊女と客に関する研究をしている高木まどか氏が解説する。※本稿は、高木まどか『吉原遊廓 遊女と客の人間模様』(新潮社、新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。著者の苗字は正しくは「はしごだか」。
遊女に好かれた客と嫌われた客
それぞれの特徴とは
吉原の当初の客は大藩の大名や大身の旗本など、格式が高く由緒もある「お歴々」の武士たちがほとんどでした。仙台藩主・伊達綱宗や姫路藩主・榊原政岑(まさみね)の豪遊が有名ですが、大名の吉原通いは珍しくもなかったとか。安価な散茶女郎の登場した寛文以降は、下級の武士や富裕な町人、果ては浪人まで、さまざまな客が吉原へ足を運ぶようになります。
逆に、過度な贅沢を厳しく禁じた五代将軍徳川綱吉や八代吉宗以降、大身の武士の出入りは難しくなり、巨富を蓄えた御用商人や札差など、財を成した町人が遊廓を賑わせていくこととなりました。
さまざまなひとが足を運ぶなか、歓迎されたのは、高級遊女を買い揚げてどんちゃん騒ぎをしてくれるような、粋で気前の良いお金持ちです。もっとも、お金がなくても、男ぶりが良ければ遊女達には喜ばれたとか。
一方で歓迎されないのは、懐が貧しかったり、野暮な振る舞いをする人だったり……。ほかにも嫌がられる要素は枚挙にいとまがありませんが、とりわけ興味深いのは、「おやぢ」と呼ばれた客たちです。