ミニチュアの町写真はイメージです Photo:PIXTA

人類が過度な開発を推し進めた代償として、地球資源の枯渇が目前に迫っている。その結果として現在社会は、お金で多くのモノやサービスが手に入る一方で、人と人、世代間のつながりが途切れ、みんなが自分のことだけを考えるような社会になってしまった。これを脱却するためのヒントは、かつての里山での暮らしや江戸時代の庶民の生活の中に隠されている。渋沢栄一のひ孫である渋沢寿一が、持続可能な世界のあり方について語る。※本稿は、渋沢寿一『森と算盤 地球と資本主義の未来地図』(大和書房)の一部を抜粋・編集したものです。

限られた資源を無駄なく使う
江戸時代の循環システム

 里山で送られてきた循環型の暮らしにおいては、人々は森に入る光を調整しながら、自然の成長量を持続的に利用し、また、村はその価値観を受け継ぐ仕組みも備えていました。

 ただ、日本の循環型社会は里山の生活にだけ存在したものではありませんでした。大都市と呼ばれた江戸でも、限られたエネルギーを無駄なく使う生活が実践されていました。

 一口に江戸時代といっても、260余年の長きにわたります。徳川家康が江戸幕府を開府して数年後の1609(慶長14)年頃の江戸の人口は、約15万人と記録されています。その後、江戸の人口は増加を続け、1721(享保6)年には町人が約50万人となり、武家や寺社の人口を合わせると100万人にのぼったとされています。“100万都市”とも称される江戸は、当時、世界有数の人口が住む大都市でした。

 当然、その頃はまだ化石エネルギーも使われておらず、発電所もありません。燃料は炭や薪やイワシから搾った油、ナタネやハゼなど植物性の油といった、自然からもたらされるものでした。また、鎖国しており海外の物資に頼ることもできないので、エネルギーも食べ物も国内の、近場から求めることになります。